記憶の落とし穴

人間の記憶は動画のように記録されるものではありません。あなたが学生時代のエピソードを思い出しているとき、出所の異なる情報を組み合わせて再構築している可能性があります。

また記憶を再構築する際、実際に起こった出来事の代わりに「こうだったのではないか」「こうあってほしい」と思っている出来事が混ざる場合もあります。

例えば車を運転中に、ハンドル操作を誤ってガードレールにぶつけてしまった人がいるとします。その理由を聞いてみると「突然小動物が飛び出してきたのでよけようとしたら、ぶつけてしまった」と言っています。ところがドライブレコーダーを見てみると、小動物なんて影も形もない。

ではこのドライバーは嘘をついているのか?そうとも言い切れません。このドライバーにとって「何もないのにハンドル操作を誤ってガードレールにぶつけた」という事実は受け入れがたいことかもしれません。突然何かが飛び出してきたことが原因なら、まだ受け入れられる。そういったとき、自分を守るために「突然小動物が飛び出てきた」という映像が、自分の記憶に挿入されることがあるのです。

このときドライバーが再構築した記憶の上では、確かに車の前に小動物が飛び出しています。客観的事実として、飛び出しは存在しないのですが、ドライバーの記憶には存在します。このドライバーは事実と異なることを供述していますが、嘘はいっていないのです。

2005年、ペター・ヨハンソンらがある実験をおこないました。実験では被験者に2人の人物写真を見せて、魅力的だと思う方を選んでもらいました。次に、被験者が選んだ人物の写真を渡して、なぜそちらを選んだか理由を説明してもらいました(例えば「目が綺麗だから」など)。

何度かこれを繰り返して、ある回では手品のようなテクニックで被験者が選んでない方の写真を渡して、理由を説明してもらいました。すると約4人に3人が写真がすり替えられたことに気付かず、渡された写真の人物、つまり自分が選んでない方の人物の魅力を語ったのです。

このように、人の記憶というのは実にいい加減なものなのです。自分が「間違いない」と思っている記憶も、本当なのかどうか疑うべきなのかもしれません。

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