死生観と文化の関係

昨日は9月11日。2001年にアメリカ同時多発テロが発生した日です。ネットニュースで、夫が同時多発テロに巻き込まれて亡くなった方への取材記事を見ました。発見されたのは右手の親指のみ。身体の大半は未だにアメリカの地にあるそうです。

近しい人が事故や災害などで亡くなったら、せめて遺体だけでも戻ってきてほしいと思うものでしょう。8月2日のニュースによると、岩手県警は東日本大震災の身元不明遺体のうち、発生時に沿岸部に住んでいた3人の身元が判明したと発表しました。県警はミトコンドリアDNA鑑定を行うなどして、身元を特定したそうです。事故から10年以上が経過しても、なんとか身元を特定して遺体を遺族のもとへ返したいという執念を感じます。

1985年8月12日に発生した日航機墜落事故では、当時群馬県警刑事官だった飯塚訓氏が身元確認班長として、遺体の特定や遺族の引き渡しの指揮を執りました。飯塚氏が著した『墜落遺体』という本には、飯塚氏や警官・医療関係者・その他作業関係者の壮絶な記録が描かれています。以下に『墜落遺体』の内容を引用しながら紹介していきます。

日航機墜落事故では、損傷が激しく身元の特定が困難な遺体が多数ありました。それでも飯塚氏は「誤認引き渡しの絶無」を期して作業を指揮しました。当初、警察庁は三点(着衣・血液型・指紋)の合致をもって引き渡すという方針でした。

ところが、焼けて炭化した遺体では指紋を採取できません。着衣と血液型が一致していても、指紋が取れないということで、現場から警察庁に報告しても「着衣と血液型だけではだめだ」と言われて引き渡しの最終許可が下りなかったそうです。現場では「両手が欠損しているのになぜ指紋が採れるんですか!」という声が上がりました。

日が進むと、遺体の状態はよりひどくなり、指紋も着衣も確認できないというケースが増えてきました。そうなってからは、歯が確認のポイントになりました。大きな衝撃や火災の被害を受けて損傷が激しくても、歯は残りやすいんですね。

『墜落遺体』では、外国人犠牲者に見る宗教観の違いについても語られています。すべてのパーツが完全にそろう前に遺体を引き取りたいという家族がいた場合「全部そろわないうちに遺体を引き渡すと、他の部分が見つかったときに確認が難しくなりますよ」と伝えていました。ほとんどの遺族は「それでもいい」というので、引き渡したそうです。

ところが、一週間もすると多くの遺族が再び訪れて、残された部分を探してほしいと希望するそうです。「あの世にいくとき、足がなければ三途の川を渡れないじゃないですか」「右手がなければあの世でご飯が食べられないじゃないですか」というのが理由でした。

飯塚氏は「これが日本人の宗教感覚、あるいは仏教思想に代表される究極の行動であり、考え方のように思える」と記しています。確かに、日本で生まれ育って日本文化が根底にある人であれば、上記の遺族の訴えを「そんなこといっても仕方ないでしょう」と突っぱねることは難しいでしょう。

一方で、外国人犠牲者の遺族は、遺体に対して強いこだわりを持たないケースもあったようです。韓国人女性の遺族の場合は、遺体の扱いについて「娘は神さまのところに召されて幸せです。肉体は一緒になくなった人とともに、埋葬してください」と言いました。

アメリカ人男性の遺族の場合は「遺体はそちらにお任せします。飛行機が落ちた場所に埋めていただいてもいいし、荼毘に付してもいいです」と語りました。イギリス人男性の遺族は「息子は死んで神に召された。死んだことがわかったので、死体は持ち帰らなくてもいい」と語り、涙を流しながら「日本の警察は親切だ。息子をこれほどまでに大事に扱ってくれてうれしい」と何度も礼を言って帰ったそうです。

キリスト教に基づく文化で育った人は、「肉体は魂の入れ物であり、死後魂は神に召される」という考え方なので、遺体にそこまでこだわりがないのかもしれません。日本人の場合は、「死んだら来世で生まれ変わる」という考えの人が多いのでしょう。そうすると、死後も完全な肉体が必要となるため、遺体も生きている人間同様の扱いになるのではないでしょうか。こうした宗教や文化による考え方の違いは、もちろんどちらが正しくてどちらが間違っているということはありません。

『墜落遺体』の後半では、重大事件が発生します。犠牲者である20代女性の確認の決め手ともなった遺品である、ふたりのイニシャル入りの婚約指輪が見つからないというのです。被害者は愛する婚約者とともに亡くなりました。指輪は大事な遺品です。謝って済む問題ではないし、弁償して解決するような問題でもありません。

飯塚氏は責任者として、女性の両親に「現状遺品である指輪が見つかりません。全力で探します。すべて私の責任です」と率直に話します。女性の父親は「どう責任を取るというのですか!」と声を荒らげます。飯塚氏は「指輪を発見するためにやるべきことをすべてやります。それでも発見できなければ、お嬢さんのご霊前に謝罪をしてから、警察を辞職します」と両親に伝えます。

この飯塚氏の覚悟については、宗教や文化に関わらず誰しも胸を打たれると思うのです。果たして、指輪は見つかったのか。飯塚氏は警察を辞職することになってしまったのか。それについては、ここでは語らないことにしましょう。

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