1996年、当時のチェス世界チャンピオンだったカスパロフと、IBM製のスーパーコンピューター「ディープ・ブルー」がチェスの6番勝負をおこないました。その第1局、カスパロフは単一の対局で初めてAIに敗れました。6番勝負では、カスパロフが3勝1敗2分で勝利しました。その翌年、1997年には2回目の6番勝負がおこなわれました。結果はディープ・ブルーの2勝1敗3分。6番勝負において、初めて人間のチャンピオンがAIに敗れました。
囲碁はチェスと比べてはるかに選択肢が多いゲームです。チェスは8×8の盤面で争うゲームです。動かせるのは、最大16ある自分の駒だけで、駒の性能によって動かせる場所は制限されています。また、局面が進んで自分の駒が減っていくと、その分選択肢も減ります。一方で囲碁は19×19の盤面で、空いているマスであればどこでも自分の石を置くことができます。この複雑さから、AIが人間囲碁棋士と互角に戦えるようになるまでには、長い時間を要しました。
しかしついに2016年3月、AIプログラム「AlphaGo」が、韓国のトップ棋士であるイ・セドルを破りました。これは、囲碁界だけではなくAIの世界でも衝撃的な出来事として受け止められました。
イ・セドルが敗れた対局でAlphaGoが打った37手目が重要な転機となりました。この手を見て、対局の解説をしていたプロ棋士たちは、「何とも奇妙な手だ。AlphaGoの読み間違いではないか」と評しました。プロなら絶対に打たないような、まるで負けに行っていると思えるような手だったのです。
あまりに変な手だったので、イ・セドルはいったん盤を離れて外を歩き、次の手を打つまでに15分をかけました。しかし、局面が進むにつれてAlphaGoの37手目が実は決め手だったことが明らかになってきました。前述したように、最終的にはAlphaGoの勝利となったのです。
チェス・囲碁・将棋などのボードゲームには、「大局観」ということばがあります。局面の優劣や、全体の状況を見通す能力、といった意味です。多くのプロ棋士は、細かく手を読む前に、大局観に基づいて方針を考えます。その際、大局観から「これはあり得ない」と思われる手は読まずに切り捨てるのです。可能な手をすべて詳細に検討していたら、時間がいくらあっても足りませんから、まず「どの手を深く読むか」を取捨選択するわけです。AIはそのような人間の大局観は持ち合わせていないようです。だからこそ、人間であれば検討の対象にもならないような手まで、深く読むことができるのです。
AlphaGoが歴史的な勝利を収めた後になっても、開発者のスレイマンのそのチームは、なぜAlphaGoが例の37手目を打ったのか説明することができませんでした。それこそが、AIという製品の特徴なのです。
パソコンや冷蔵庫といった製品は、その作り手が製品の機能や挙動について説明することができます。「冷蔵庫のこの部分にはこういう機能があります。冷蔵庫から異音がするということですが、それはこの部分がこういう状態になっているからと考えられます」という具合に。しかしAIに関しては、そのプログラムがどう機能するか、AIがなぜこういう行動をしたのかといったことを開発者でも説明できないことがあるのです。
今、AIは医療や投資といった分野でも活躍しています。これまで見てきたように、AIの判断については開発者でもその理由を説明できないことがあります。ボードゲームならまだしも、そういったものに大事な自分の体や、お金に関する意思決定を任せる、そういう時代になってきているようです。