アンジー・バックマンは、アイオワ州に住む主婦でした。中学に通う2人の娘と、幼稚園に通い始めた一番下の娘という3児の母親でした。朝は家族の送り迎えで忙しいものの、それが終わると特にすることがなく、孤独を感じていました。アンジーはある日のお昼過ぎ、初めてカジノに行ってみました。ブラックジャックのテーブルに着いて楽しんでいると、あっという間に2時間が過ぎていました。軍資金として持ってきた40ドル分のチップはなくなっていました。
それ以来、アンジーは週に1度、金曜の午後にカジノに通うようになりました。当時のアンジーにとって、カジノは1週間を乗り切ったご褒美でした。のめりこみ過ぎないように、ブラックジャックをするのは1時間だけと自分で制限をかけていました。
アンジーは腕を上げていき、最初は1時間で持参金が尽きていましたが、だんだん勝てるようになりました。「1時間まで」という自分で決めたルールも変更して、2時間、3時間とカジノで過ごすようになりました。
ある日、アンジーは80ドルをもってカジノに出かけ、帰るころには530ドルに増えていました。その頃にはカジノから無料ディナー券が送られるようになりました。それを使って、週末の夜に家族で外食に出かけることもありました。
2000年になると、アンジーの両親は肺に病気の兆候が表れました。アンジーは定期的に両親がいるテネシーまで飛んでいき、買い物や食事の世話をしました。「こんなに大変なのに、夫は仕事のことしか考えていない。子どもたちもこの状況に気付かない」とアンジーは憤慨しました。これまで以上に孤独を感じるようになっていました。しかし、カジノに行けばそんなことは忘れてしまいました。週1回だったカジノ通いは、週2回、3回と増えていきました。
ある日、アンジーは6000ドルをもってカジノから帰ってきました。2か月分の家賃に加えて、クレジットの負債も返済できるほどの額です。しかしトータルで見れば負けることの方が多かった。アンジーは両親に借金をするようになりました。アンジーの父は、それなりに有名な歌手で、アンジーをサポートするのに十分な金を持っていたのです。
2001年、アンジーのカジノに対する借金は2万ドルに達しました。借金は家族に秘密にしていましたが、両親からサポートを打ち切られ、隠しきれなくなってしまいました。アンジーは借金のことを夫に打ち明けました。
アンジーと夫は破産専門の弁護士を雇い、生活を立て直す計画を立てました。自己破産をして、家を引っ越し、質素な生活に切り替えました。しかしアンジーのギャンブル狂物語はここで終わりではなかったのです。(次回に続く)