企業にとって、妊娠した女性は「宝の山」といえます。新たに親となる人は、おむつ・ベビーベッド・毛布・哺乳瓶など、大量の物品を購入します。赤ん坊を抱えた親が、ある店でおむつや粉ミルクを買うことになったとしましょう。もしその店で、食料品や日用品も買えるのであれば、ついでに買っていくでしょう。子どもが生まれたばかりの親は、買い物が一回で済むのであればその方が嬉しいからです。
アメリカの大手小売りであるターゲット社は、幼児の親を取り込むための部署を立ち上げました。ただし、子どもが生まれてからでは遅すぎます。ターゲットは、子どもが生まれる前の親にアクセスすることを目指しました。
ターゲットのデータ処理専門部署で働くアンドリュー・ポールは、妊娠4か月目くらいの顧客を特定する仕事に取り組んでいました。ポールは、出産予定日が近付くと、女性の買い物習慣がどのように変化するか調べました。
調査を進めたところ、妊娠した女性には予測しやすい買い物パターンがあることがわかりました。妊婦は妊娠14~15週目頃から、大量の無香料ローションを買うようになります。また、最初の20週くらいで、ビタミン・ミネラルなどのサプリメントをたくさん買う女性が多いこともわかりました。さらにその2~3か月後くらいには、大量の除菌用ハンドジェルやタオルを購入します。ポールは、顧客の買い物データから、「この顧客は妊娠〇か月目くらいだ」と正確に推測できるようになりました。
データ分析の結果から、妊娠4か月目くらいと思われる女性には、5~6か月目くらいに買うであろう商品のお知らせを送ります。そうすることで、広告宣伝費の費用対効果が抜群によくなります。
しかしこうした手法にはひとつ問題がありました。顧客はターゲットに「私は妊娠しました」と申告しているわけではありません。それなのに、ベビー用品のDMが送られてきたら、気持ち悪いと感じるかもしれません。
ポールが妊娠予測モデルを使ったマーケティング戦略を始めて1年が経過したころ、ある男性がターゲットの店舗に来て「店長に話がある」と言ってきました。男性は「うちの娘はまだ高校生なのに、ベビー用品の広告が送られてきた。どういうつもりなんだ?」と腹を立てていました。店長はその場で平謝りし、数日後改めて男性の自宅に電話しました。すると、男性は「娘と話をしたんだが、その…あんたに謝らないといけない」と言いました。
ターゲットは顧客の妊娠を正しく予測し、その妊婦のフェーズにふさわしい広告を送りました。それはマーケティングの観点からは正しい行為であっても、送られた顧客や世間にとっては不快に感じる場合もあるのです。
そこでターゲットは、妊婦がいる家庭を取り込むための別の手段を考えました。妊娠した女性が決して買わないような商品の広告を混ぜたのです。例えば、ベビー服のクーポン券とワイングラスのクーポン券。妊婦は酒を飲めませんから、ワイングラスを買うことはないでしょう。あえてそうした組み合わせの広告を送ることで、「ベビー用品の広告が送られたのはたまたまです。あなたが妊娠していることを知っているわけではありません」というメッセージを伝えていたのです。
ターゲットの戦略は功を奏しました。2002年から2009年の間に、ターゲットの収益は440億ドルから650億ドルまで増加しています。妊婦を取り込む戦略は、この急成長に大いに寄与したと考えられています。