独裁者は疑り深くなる

ニコラエ・チャウシェスクは1918年、ルーマニアの貧しい農家に生まれました。ルーマニア共産党に入党し、第二次世界大戦中は収容所暮らしを送ることになります。戦後、ルーマニア共産党が権力を握ってからは共産党内で出世し、1965年には共産党書記長に就任します。その後は、1989年に処刑されるまで指導者として君臨しました。チャウシェスクは、中央集権化を進めて、個人の自由や表現の自由を抑圧しました。今回はチャウシェスク政権下における象徴的なエピソードを紹介します。

ゲオルゲ・イオシフェスクは、ルーマニア政府の計算センターで働くコンピューター研究者でした。ある日、イオシフェスクがオフィスに入ると、スーツに身を包んだ知らない男が座っていました。イオシフェスクが挨拶しても男は黙ったままです。イオシフェスクはコンピューターを起動して業務を開始しました。男はイオシフェスクに近付いて、その動きを観察していました。

イオシフェスクは何度か男に話しかけてみました。あなたの名前は?なぜここにいるのですか?何を観察しているのですか?何を聞いても男は黙ったままでした。イオシフェスクがその日の仕事を終えてオフィスを出ると、男もオフィスを後にしました。

翌日、イオシフェスクが出勤するとまた例の男が座っていました。男はその日も一言も発することなく、イオシフェスクの挙動を見守っていました。1989年、チャウシェスク政権が崩壊するまでの13年間、男はオフィスでイオシフェスクを監視し続けたのです。

結局、イオシフェスクは男の名前すら知ることができませんでした。男は政府の諜報員でした。コンピューターという新しいテクノロジーを警戒していた政府が、イオシフェスクを監視対象にしたのです。

チャウシェスクは、2000万人いたルーマニア国民全員を疑っていました。しかしルーマニア政府が抱えていた諜報員は約4万人に過ぎません。4万人の諜報員が2000万人を監視することなど不可能です。さらに、チャウシェスクにとって、諜報員や政府高官も警戒の対象でした。彼らは権力に近い分、一般国民よりも厳しい監視の下で暮らしていました。では、諜報員の監視者は誰が監視するのでしょうか?

権力を独占した人間が、猜疑心の塊になるというのは、時代や洋の東西を問わず必然なのかもしれません。

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