アウトサイドで生きている人々

今回は『アウトサイドで生きている』(櫛野展正 著)という本を紹介します。筆者は、日本で唯一の「アウトサイダー・キュレーター」を名乗っています。これは独学でアートの制作をする「アウトサイダー・アート」のキュレーションを行う人という意味です。また、筆者自身もアウトサイドで生きています。

この本の前書きには、筆者がアウトサイダー・キュレーターになるきっかけが書かれています。あるアウトサイダー・アーティストは、39歳のときにサラリーマンをやめて、画家として生きていくことを決めました。しかし彼は描いた絵を売るわけでもなし、公募展に出すわけでもありません。描いた絵は自宅の庭に展示するだけでした。当然それだけでは生活できないので、「食べていくために土方をした」ということでした。彼が画家として生きていくと決意してから40年が経過しましたが、何も後悔はしていないと語ります。

好きな道で生活できる人は、全体から見れば少数派でしょう。多くの人々が、自分の人生や家族のために好きな道は諦めて、生活が成り立つ仕事に就きます。『アウトサイドで生きている』では、そうした妥協をせずに、好きなアートを人生の中心に据えて生きている人々が描かれています。

この本で最初に登場するアウトサイダー・アーティストは西本喜美子氏です。喜美子氏は1928年生まれで、この本の取材当時は87歳でした。彼女は自撮り写真家です。彼女の作品では、老婆がゴミ袋をかぶって可燃ごみとして処分されていたり、車でひかれたり、原付で派手に転んだりしています。

喜美子氏は20歳頃に美容室をオープンしますが、22歳頃には女子競輪選手に転職します。1950年代の女性としては、かなり異色の経歴でしょう。競輪選手引退後は、27歳で結婚し主婦として3人の子どもを育てます。

喜美子氏の長男、和民(かずたみ)氏は、広告代理店やレコード店を経て30歳のときにアートディレクターとして独立します。和民氏はCHAGE&ASKA、光GENJI、吉川晃司、B’zなどのレコードジャケットを手掛けた、業界では有名人でした。

売れっ子として活躍していた和民氏でしたが、あるときミスが重なりひどく落ち込んでいました。そのとき、CHAGE&ASKAの2人からある僧侶を紹介され、赤坂プリンスホテルでお祓いを受けたそうです。僧侶は「同業者であなたの仕事ぶりをねたむ生霊が8体憑いていました」と和民氏に告げます。このあたり、ヤバそうな雰囲気がプンプン漂ってきます。

その後和民氏は1997年、地元熊本で写真塾を開きます。喜美子氏が72歳のとき、写真塾の生徒に勧められて写真を撮るようになりました。彼女は72歳にして、写真家としてスタートを切ったのでした。

2011年、喜美子氏は熊本県立美術館分館で初の個展を開きます。作品は老婆がひどい目に遭っているような写真ばかりで、観覧者からは「老人虐待ではないか?」という声もあったそうです。そのため、会期の途中からは「自分で撮った写真です」と注釈をつけるようになりました。

他には、カブトムシ・クワガタ・カナブンなどの虫の死骸を集めて武者人形や千手観音像を作るアーティストも印象的でした。千手観音像は2万匹以上の虫の死骸が使われていて、台座も含めると180cmほどあるそうです。一度実物を見てみたいものです。

この本には、他にもお金にはならない驚愕のアートを作り続ける人々が紹介されています。なかなかマネできませんし、マネしてみようとも思わないのですが、見ている分には面白いのです。

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