「人は得る喜びより失う痛みの方が大きい」ということは、過去のブログでも複数回触れてきました。例えば、コインの裏表を当てるゲームで、当たれば1万円がもらえて外れれば1万円を失うとしましょう。ほとんどの人は、1万円もらえる喜びよりも1万円を失う痛みの方が大きいものです。
『カイジ』『アカギ』などのヒット作で知られる漫画家、福本信行の作品『銀と金』をご存じでしょうか。先に挙げた2作品ほど有名ではないですが、この作品も何度か映像化されています。『銀と金』の第4話では、「失う痛み」が見事に描写されています。
この作品の主人公、平井銀二は裏社会のフィクサーです。銀二はもうひとりの主人公、森田の目の前に5千万円の現金を置いてこう語りかけます。
「5千万だ…!泥をかぶらなきゃ おまえには生涯つかめない金…」
その金を得る条件はなんと「人をひとり殺すこと」。ただし、森田が自ら手を下すことはなく、少し長い食事にでも出かけていればいいといいます。とはいえ、人を殺すという条件ですから森田も即答しかねます。固まっている森田を見て、銀二は5千万円の札束から5百万円を減らします。
銀二は「遅く決めるものはそれだけで道を誤るものだ」と言って、さらに5百万円を減らします。森田はどんどん金を減らそうとする銀二を見て、札束に覆いかぶさりながら「よせっ!金を減らすのはやめろ!汚ねえぞ!」と叫びます。さらに「この金が減ると…まるで身を切られるよう…」と続けるのです。
この段階では、まだ5千万円は森田のものではありません。しかし、銀二の依頼に従って、結果として人をひとり殺せば5千万円になります。銀二の言う通り、ギャンブル狂のプータローのような生活をしている森田にとっては、一生かかってもつかめない大金です。それが目の前でどんどん減らされていくと、まるで自分の身を切られるような痛みを感じてしまうのです。
今から25年ほど前に、この「失う痛み」を数値で計る実験がおこなわれました。実験では被験者が2つのグループに分けられました。ひとつのグループには、1万2千ドルの車を提示しました。これは本体価格であり、被験者である顧客は好きなオプション機能を追加することができました。その結果、顧客の支払総額は平均で約1万3700ドルになりました。顧客は約1700ドルのオプションをつけたことになります。
もうひとつのグループには、オプション機能をすべて装備した1万5千ドルの車を提示しました。そして、顧客は不要なオプションがあれば外すことができました。このときの平均価格は約1万4500ドルとなりました。最初に本体価格のみを提示されたグループよりも、800ドル多く支払ったということになります。
本体のみの状態から、オプションを付けていくのは「何かを得る」ということになります。オプションを付けることによって、車の運転が楽になったり、社内環境が快適になったりします。もちろんその分、余計に費用がかかります。
オプションフル装備の状態から、不要なものを外すのは「何かを失う」ということになります。一度オプションフル装備の状態を見てしまうと、機能を外すことが惜しく感じてしまうものです。そこで顧客は、本体価格より多少高くなっても、オプションを外さないという意思決定をするのです。
この実験結果は、他にも応用できそうですね。動画配信、書籍閲覧等のネットを利用したサブスクサービスで、すべてのサービスを利用できるプレミアムコースと、一部のサービスしか利用できないスタンダードコースがあるとします。多くのサブスクサービスにおいて、プレミアムコースとスタンダードコースの原価はほとんど変わりません。したがって、価格が高いプレミアムコースが最も利益が高くなります。しかし、スタンダードコースを選んだ顧客に対して「プレミアムコースに切り換えませんか」と勧めても反応はよくないかもしれません。
そこで「失う痛みは大きい」という法則を利用してみましょう。最初の1か月はプレミアムコースと同じくすべてのサービスを利用できるようにするのです。1か月後、すべてのサービスを利用している顧客は「明日から利用できるサービスが減ってしまうのは惜しい」と思って、プレミアコースに切り替えるかもしれません。