多くの営利企業では、営業担当者にノルマという数字が課されています。「目標」とか「予算」といった言葉が使われる場合もありますが、意味はすべて同じです。担当者はその数字を達成するように、上からプレッシャーをかけられます。
ノルマ達成のプレッシャーに負けて、不正に手を染める事件が後を絶ちません。2010年代、アメリカの大手銀行ウェルズ・ファーゴでは顧客に無断で350万件の新規口座が開設され、無断で56万件のクレジットカードが発行されました。これらの不正によって、顧客には約240万ドルのいわれのない手数料が発生したといいます。
不正の主な原因は厳しいノルマでした。ウェルズ・ファーゴでは1人の顧客に複数の金融商品を販売するクロスセルが重要な経営指標とされていました。1人に対して最低8つの商品を販売するという支店目標もあったといいます。
クロスセルという手法は多くの業界でポピュラーなものです。ハンバーガーショップに行って、ハンバーガーだけを頼めば「お得なセットはいかがですか」と勧められます。スーツ屋に行ってスーツを作れば「このスーツに合うシャツやネクタイもいかがですか」と勧められます。
銀行におけるクロスセルは以下のようなものです。例えば、当座預金口座を開設しにきた顧客がいたとします。この顧客の要望通り、当座預金口座を開設するだけで終わったら上から怒られます。同時に「普通預金口座も開設してはいかがでしょう。クレジットカードもありますよ。お得なローンもあります」などと、他の商品も進めなければならなかったのです。
あなたが顧客だったらどうするでしょうか。ほとんどの顧客は「いや、自分は当座口座を開設しにきただけなんで、そういうのはいらないです」と思うでしょう。いくら上から言われたところで、いらないものはいりません。
しかしおめおめと「お勧めしましたが断られました」とはいえません。言ってしまえば上司からの叱責や減給、最悪の場合解雇といった罰が待っています。日本ではノルマ未達くらいでは解雇できませんが、アメリカは解雇のハードルが低いのです。
そこで従業員は「顧客に黙って口座を開設する」という禁断の手法に手を出します。こうした不正によって、顧客には払う必要のない手数料が発生してしまいました。いずれは必ず発覚してしまうのに、エリートであるはずの銀行員がこんな不正をしてしまうんですね。
不正の発覚後、5300人の従業員が解雇されました。2020年には、一連の不正の制裁金としてウェルズ・ファーゴは司法省と米証券取引委員会に合計約30億ドルを支払うことで合意しました。不正のツケは非常に大きかったようです。
不正の原因となった過大なノルマはどうして生まれたのでしょうか。まず、銀行の金融商品は差別化が難しいということがあります。そのため、他の銀行を出し抜いて顧客を多く獲得することが困難です。
顧客数が増えなくても売上を伸ばすためにはどうすればいいでしょうか。顧客ひとりあたりの売上を伸ばせばいいのです。顧客が1万人でひとりあたりの売上が100ドルなら、総売上は100万ドルです。もしひとりあたりの売上が10倍の1000ドルになれば、なんと総売上は1000万ドルになるのです!
パソコンのスプレッドシートを使えば、こんな試算が簡単にできてしまいます。もちろん現実は試算通りにはいきません。しかし、しばしば組織の上層部というのは、このような現実的に無理のあるプランを、ノルマとして現場に落とし込むものなのです。その結果として多くの従業員は「不正をしてでもノルマを達成する」という道を選んでしまうのです。
ノルマそのものは悪いものではありません。しかし、それが現実的に達成可能なのかどうか、不正などの抜け道がないかをよく考えて設計しないと、ウェルズ・ファーゴのような結末を迎えてしまいます。