全員がノーベル賞を受賞した奇跡のクラス

天体物理学者のスブラマニアン・チャンドラセカールは1910年、当時イギリス統治下にあったインドのラホール(現在はパキスタン領)で生まれました。1930年、プレシデンシ大学を卒業後、イギリスのケンブリッジ大学へ留学します。イギリスに渡航しているときに、船上で白色矮星の質量には限界があることを発見しました。これを「チャンドラセカール限界」と呼びます。

1937年、チャンドラセカールはアメリカへ移住し、シカゴ大学とヤーキス天文台の研究員となって天文学の研究を進めました。1947年、チャンドラセカールはシカゴ大学で物理学の授業を1コマ受け持つことになりました。場所はキャンパスから130kmも離れた天文台でした。そして受講希望者はたったの2人。その授業を担当すると、2人の学生のために往復250km以上も通勤することになります。

周りの人たちは、チャンドラセカールは今後のキャリアを考えて今回の授業はキャンセルするだろうと考えていました。しかしチャンドラセカールは2人の学生のために授業を引き受けることにしました。

このクラスは「シカゴ大学史上最小のクラスだ」と揶揄されました。2人の学生は、そんなことは意に介さず授業に没頭しました。チャンドラセカールも熱意をもって授業に取り組み続けました。

10年後の1957年、チャンドラセカールの授業を取っていた2人の学生、ヤンとリーは「素粒子物理学における重要な発見に導いた、いわゆるパリティについての洞察的な研究」によりノーベル物理学賞を受賞します。

さらに1983年には、チャンドラセカールが「星の構造および進化にとって重要な物理的過程に関する理論的研究」によってノーベル物理学賞を受賞します。たった2人しかいない物理学のクラスで、教師と受講生全員がノーベル賞を受賞するという快挙を果たしたのでした。

チャンドラセカールは1995年に、84年の生涯を終えました。その20年後の2015年、アジア太平洋物理学会連合(AAPPS)プラズマ物理部門はプラズマ物理学の顕著な進歩に貢献した研究者に贈る、チャンドラセカールの名前を冠した「チャンドラセカール賞」を設立したのでした。

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