鳥など一部の動物は、最初に見たものを親と認識して追いかけていくという習性があります。子の習性を発見したのはオーストリアの動物行動学者コンラート・ツァハリアス・ローレンツ(1903ー1989)です。
ローレンツは、ハイイロガンの雛をガチョウに育てさせようとしました。ガチョウが孵化させた雛はガチョウを追いかけていきましたが、ローレンツの目の前で孵化した雛は、ガチョウではなくローレンツの方を追いかけるようになりました。こういった習性を「刷り込み」といいます。
人間にも刷り込みの習性が見られます。最初に見た情報を真実と思いこむという刷り込みです。
2007年に社会学者のオルターらは、40人の学生に数学の問題を解かせました。全員が同じ問題に取り組みましたが、問題文のフォントに違いがありました。あるグループは問題文が普通のフォントで書かれていて、もう一方のグループは読みにくいフォントで書かれていました。オルターは「問題が読みにくいフォントで書かれていた方が正解率が高くなった」と発表しました。
意思決定科学を研究しているアンドリュー・メイヤーらは、この実験結果に懐疑的でした。そこで7000人以上の被験者を対象にして、同様の実験をおこないました。その結果、普通のフォントと読みにくいフォントで正解率は変わらないと発表しました。
2015年にメイヤーが「書体の読みやすさで正解率は変わらない」という結果を公表した後も、オルターの研究結果は注目を集め続けました。2024年6月現在でも、検索すればオルターの実験結果を引用して「読みにくいフォントの方が注意して問題を読むために正答率が上がるのではないか」といったコメントが書かれた記事を見ることができます。
オルターとメイヤー、それぞれの研究結果を比較して、被験者の属性に関して結果に影響を及ぼすような違いがないとすれば、どちらが信憑性が高いといえるでしょうか。今わかっている情報だけから判断すれば、被験者が40人のオルターよりも、被験者が7000人以上いるメイヤーの方が信憑性が高いと考えられます。
しかし現実に注目を集めているのはオルターの方です。これは「オルターの研究結果の方が先に発表された」ということが大きく影響しています。もしメイヤーが、7000人の被験者を集めて「フォントの読みやすさで正答率は変わらない」と発表して、その後オルターが40人の被験者を集めて「読みにくいフォントの方が正答率が上がる」と発表したとしたらどうでしょうか。おそらくオルターの主張は注目されなかったでしょう。
これら一連の出来事から「人は最初に見た情報を真実と考えやすく、その考えを改めさせるのは難しい」ということがいえます。ある分野に関して最初に触れる情報は非常に重要な意味をもっているのです。
来週、あなたの職場に新しい上司が赴任するとします。その上司に関して、噂好きの同僚が「新しい上司はとんでもなく怒りっぽくてわがままな人で、前の部署ではパワハラがひどすぎてこっちに飛ばされてきたらしいよ」とあなたに吹き込んできました。もうあなたはその上司に対していいイメージはもてないでしょう。仮にその話がまったく根拠のないデタラメだったとしても、上司のイメージを好転させるには困難が伴います。
物事や人物について、最初に触れる情報はくれぐれも慎重に選ぶ必要があるでしょう。