人は深く考えることが苦手なので、即座に答えを出したがる傾向があります。「今日の昼ごはんは何にするか」「次の休みはどこに遊びに行くか」といった内容であれば、即断しても支障はないでしょう。しかし、本来じっくり考えて決めるべきことであっても、すぐに直感で答えを出すことが往々にしてあるのです。
「今後、日本の株価はどうなっていくと思いますか」と聞かれたとします。これは非常に複雑な質問です。株価に影響しそうな要素はたくさんあります。それら無数の要素が株価にどう影響するか評価し、個々の要素の重みに従って総合的にどうなっていくか判断する必要があります。とても個人でできる判断ではありません。
そこで私たちは、直感で株価が上がるかどうか判断します。その判断に基づいて、妥当な理由を後付けします。例えば「好調な企業決算や円安などを背景に買い注文が広がるから、株価は上がるでしょう」といったように。
根拠が先にあって、それに基づいた結論が下されるというのが本来のプロセスです。一方で、上の例では、先に結論が下されて、それに合うような根拠を探し出しています。
テレビなどのメディアでは、結論先行の意見が飛び交っています。「この問題についてどう思いますか」とコメントを求められたとき、コメンテイターは1分程度で意見を述べる必要があります。そのような短い時間では「この問題はAという観点からはこのように考えられる。一方でBという観点からは、このように考えられる。また、Cという観点では・・・」のように、じっくり問題を分析できる時間はありません。そのため、まずその問題に対して肯定的か否定的かといったスタンスを最初に決めて、その根拠をひとつかふたつ程度述べて終わりということになります。
また、コメンテイターには「専門家でないのでその問題に関しては何とも言えません」というコメントは許されません。そんなコメントをしたら、二度と使ってもらえなくなります。その問題の専門家ではないどころか、その問題について昨日初めて知ったという場合でも「これはきちんと考えないといけませんね」などと、何年もこの問題に取り組んできたかのような顔で意見を述べる必要があります。
SNSが発達した現代では、一億総コメンテイターのような状況になっているように思えます。大きなニュースが起こると、たちまちそのニュースに関して大量のコメントが寄せられます。ほとんどのニュースは「AだからBである」などと、単純に結論付けられるものではありません。しかし、SNSのコメントというのは、ほとんどが単純な論法による意見になっています。そのニュースに対して、まず直感で好き嫌いを判断し、後からそれをサポートする論拠を付け足しているのでしょう。
私たちは、あらゆる出来事に対して意見を述べる必要はありません。わからないことは「わからない」と言っていいし、興味がないものに対して、無理に意見を表明しなくてもいいのです。
今は普通に生活しているだけでも、様々な情報が絶え間なく飛び込んできます。それらに対して、いちいち反応していては脳のリソースがいくらあっても足りません。不要なものは無視して、本当に自分にとって価値があるものだけに深く注意を向けてみてはいかがでしょうか。