5127台目でだめだったらどうするか

「吸引力が落ちない掃除機」で有名なダイソンは、イギリスのノーフォーク州出身のジェームズ・ダイソンによって生み出されました。ダイソンは1947年生まれで、1965年にバイアム・ショー美術学校に入学し、1年後に王立美術大学に進みました。当初は絵画の道を志していたダイソンですが、その興味はインテリアデザインやエンジニアリングへ変わっていきました。

ダイソンは会社員を経て、車輪の代わりにボールを使った手押し車「ボールバロー」を発明し、起業します。その後、他の取締役と対立して、1979年には解任されてしまいます。ボールバローの特許は会社に属していたため、ダイソンはすべてを失ってしまいました。

その後、ダイソンはひとりで「紙パック不要で吸引力が落ちない掃除機」の開発に挑みました。しかし、なかなかうまくいきません。15台目の試作品ができたとき、3人目の子どもが生まれていました。15台も試作品を作って、ものにならなければ普通の人ならくじけてしまいそうです。ところがダイソンはさらに試作を重ねていきます。

3727台目の試作品ができた頃には、ダイソンの妻は生活費を得るために美術教室を開きました。最終的に「これだ!」と思える試作品ができたのは、開発を始めてから4年、5127台目の試作品のときでした。その頃ダイソンは15万ポンド以上の借金を抱えていて、開発に失敗したら破産するしかないような状態だったのです。

「これなら売れる」という掃除機を完成させた後も、ピンチは続きます。製造販売をおこなうために、各社に話を持ち掛けますが、断られ続けました。1986年にようやく、サイクロン掃除機「G-フォース」を日本で製造・販売にこぎ着けることができました。G-フォースは1台20万円以上という高価格にもかかわらず、大ヒット商品となりました。

ダイソンは1993年にダイソン社を設立し、自社生産を始めました。その後もダイソン社は数多くのヒット商品を生み続けています。

この話から「諦めずに挑戦し続ければいつか成功できる」という教訓を得ることができるでしょう。ダイソン以外にも、何度失敗しても諦めずに成功をつかんだ人の話は数多く存在します。しかし、私たちが目にするのは成功者の物語だけたということに注意する必要があります。

ダイソンは5000台以上の失敗作を作った後も、諦めずに試作品を作り続けました。一方で、100台目の失敗で「これ以上は傷口を広げられない」と諦めてしまった人たちも数多くいるでしょう。彼らがそのエピソードを誰かに語ることもあるかもしれません。しかし、そのような物語は需要がないので、メディアで取り上げられることはないでしょう。

お笑いコンビ「パンクブーブー」の漫才で「うまくいかなくてもやり続けるんだ。諦めずにやり続ければ、人間いつか必ず寿命が尽きる!」というくだりがあります。漫才なので、ネタとして言っているわけですが、人生の真理を突いているなと感心しました。

本人の熱意があっても、年齢・体力・資金等の限界は存在します。年齢制限がある仕事であれば、その年齢を迎えればタイムリミットです。ダイソンの場合は、5127台目の試作品でうまくいきましたが、もう少し時間を要していたら資金面で撤退を余儀なくされていたかもしれません。

夢も希望もないような現実的な話をしましたが、そんな話には目もくれず、成功だけを信じて突き進める人が成功をつかめるんじゃないでしょうか。

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