1000億円を溶かした男

井口俊英は1951年生まれ、2019年に亡くなった元銀行員の作家でした。井口氏は1995年に発覚した「大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件」を起こした人物です。その損失額は約11億ドル。当時のレートで計算すれば約1000億円というとてつもない金額になります。

彼の著書『告白』は、巨額損失事件の経緯や、不正を頭取に報告した後の対応が詳細に記されています。これだけの経済事件の顛末が、本人から語られているという点において、『告白』は貴重な文献だといえるでしょう。

大王製紙の会長であった井川意高が、カジノでつぎ込んだ会社の金が106億8千万円でした。このときの顛末は、井川氏の著書『熔ける』で記されています。106億円というのもとんでもない大金ですが、井口氏はその10倍の損失を出しています。

発端は事件が発覚した12年前、1983年まで遡ります。当時井口氏は、変動金利債の取引で失敗して、半年かかって蓄積した5万ドルの利益を溶かしてしまいました。ニューヨーク支店では、井口氏がそれまでに稼いでいた利益をあてにして仮決算を組んでいました。いまさら「一取引で失敗して全額ふいにしました」とは言えなかったそうです。

井口氏は、当時嘱託職員という身分でありながら、優れた成果を収めていました。それがたったひとつの失敗で崩れてしまうことは避けたいーそんな思いから、この損失を先送りにすることを考えました。そしてその間に別の取引で上げた利益と相殺するという計画です。

損失を取り返す手段として、井口氏は値動きの大きい米国債の取引に手を付けます。そこで問題なのが、井口氏には米国債を売買する権限がないということでした。変動金利相場での損失は、業務上の失敗ではあるが、認められた取引の範囲内のものです。しかし、認められない取引に手を出すのは明確に内規違反となります。井口氏はここで初めて罪悪感を感じたと綴っています。

絶対に一発で損失を取り戻さなければならない取引でした。しかし、相場は井口氏の願いとは反対方向に動きます。累積で7万ドルになっていた損失を取り戻すために行った権限外の取引でしたが、新たに10万ドルの含み損を抱える結果に終わりました。

こうして膨らんだ含み損は、ある時点で支払いが必要となります。井口氏は顧客からの預かり証券を売却して決済しました。損を取り返すまで「借りておく」と自らを正当化して、取り戻した時点で返すつもりだったそうです。

井口氏の損失が2千万ドルを超えた頃、富士銀行ニューヨーク支店で為替の無断取引による巨額損失が発覚しました。これを機に、大和銀行でも相場取引に関するリスク管理を見直そうという気運が高まりました。

井口氏は「秘密が発覚するのは時間の問題」と考えて、策を練りました。仮に井口氏が1年間不在であっても、妻子が生活に困らないよう5万ドルを着服することにしたのです。井口氏は新たに開設した個人口座に、5万ドルを入金しました。翌日入金を確認した井口氏は、戻れない一線を越えてしまったことを悟りました。

きっかけは、業務上の失敗でした。ここで正直に損失を明かしていれば、行内での評価は大きなマイナスだったでしょう。最悪の場合、解雇ということもあったかもしれません。それでも、別の職場でやり直しは可能ですし、ましてや逮捕されるということはなかったはずです。

失敗を隠すために、権限外の取引を行い、さらに膨らんだ損失を隠すために顧客から預かった証券を売り払う。挙句の果てには「妻子のために」と正当化して、横領を行う。絵にかいたような転落ぶりです。

「自分ならこんなことはしない」という人もいるでしょう。しかし、それはこれまでそういった機会がなかっただけかもしれません。同じ状況になれば、誰でも井口氏と同じことをするリスクはあるのです。

私も営業の仕事をしていたとき、こんな経験がありました。「ここまでは確実にいきます」と報告していた数字があったのですが、あてにしていた契約がキャンセルになってしまい、達成が難しくなりました。

そのとき、あてにしていた契約は「確約」状態のままにしておいて、頑張って新たな契約を取り付けます。そこであてにしていた契約のキャンセルを報告して、代わりに新たな契約を計上します。私の場合はそこまでで済みましたが、仮に新たな契約ができなかったら、そして仮に不正に契約をでっち上げる手段が存在していたら、もっとエスカレートしていたかもしれません。

1995年の7月、ついに井口氏は巨額の損失を頭取に打ち明けます。その後の顛末もなかなか興味深いのですが、それは次回に書こうと思います。

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