こだわりのよくばりセット

毎日新聞校閲センターには、東京と大阪合わせて80人余りが在籍しています。紙面やサイトの記事について、字句や事実関係を調べて誤りを直す仕事が校閲です。毎日新聞校閲センターの校閲記者たちによって、プロでも迷う言葉についてまとめられた書籍が『校閲記者も迷う日本語表現』です。同書から気になった表現を紹介します。

同書71ページに、「作り手の『こだわり』を感じるーという場合、どう受け止めていることになる?」という質問があります。一般人の回答は、「肯定的に評価している」が70.8%、「否定的に受け止めている」が8.7%、「肯定と否定が相半ばしている」が20.5%でした。

「こだわり」という言葉は、かつては「拘泥」と同様に「つまらないことに捉われる」という否定的な意味で使われていました。しかし、40年ほど前には肯定的な用法が広がっていきました。今では「店主こだわりの品ぞろえ」とか「シェフこだわりの一皿」といった表現をよく目にします。いずれも、「妥協しないで質を追及している」という肯定的なニュアンスで使われます。

同書では、「こだわり」に関して肯定でも否定でもない解釈も紹介されています。新明解国語辞典第8版では「こだわる」の項目の「二」として「他人はどう評価しようが、その人にとっては意義のあることだと考え、その物事に深い思い入れをする」という説明があります。

この説明に沿って考えると、「店主こだわりの品ぞろえ」というとき、「そこに込められた思い入れは、あくまで店主にとって意義があることである」という解釈できます。つまり、他人の評価が肯定的なものかどうかというのは、本質的な問題ではないということです。それを「独りよがり」と捉えれば、否定的なニュアンスになるし、「妥協を許さない」と捉えれば、肯定的なニュアンスになります。「こだわり」という言葉自体の本質的な意味は変わっていないけれど、それに対する世間の評価が変化したということがいえるのかもしれません。

「よくばり」という言葉も、時代の変化によって評価が変わってきました。飲食店や、食品を売る店で「よくばりセット」という表示を見かけます。中身は複数種類の料理や食品の詰め合わせです。

「よくばり」をネット辞書で調べると「欲張ること。またその人やそのさま」と説明されています。否定的なニュアンスのように感じるかもしれませんが、そうとも言い切れません。欲張り、欲望に忠実であるというのは、その人の性格・性質を表しているだけです。

そのことに対する評価が、以前は否定的なものだったかもしれません。しかし、現代では「欲望に忠実でどこが悪いの?自分に素直でいいじゃない?」といった肯定的な評価が強まったといえるでしょう。だからこそ、飲食店のメニューに堂々と「よくばりセット」という文字が躍るようになったのです。

ほとんどの場合、「よくばりセット」と平仮名表記になっています。「欲張りセット」のように、「欲」という漢字を使うと生々しいからでしょう。また、ネット辞書では「よくばり」の類語として「強欲」「貪欲」が挙げられていますが、「強欲セット」とか「貪欲セット」は見たことがありません。そういえば「貪欲」も「彼は勝つことに対して貪欲だ」といった肯定的な使い方をされますね。

「よくばりセット」をネット検索していたら、「ヴィーガンよくばりセット」というページを見つけました。1食410kcal以下の冷凍食品が、6食入りで4種類の味が楽しめるセットだそうです。ヴィーガンというのは、特定の食品や製品を避ける人たちのことです。もちろん「ヴィーガンはよくばりであってはならない」なんてことはありません。しかし、「ヴィーガン」と「よくばり」の組み合わせになんとなく違和感を覚えてしまうのは私だけでしょうか。

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