1974年、アメリカの連邦裁判所判事、マービン・フランケルは、架空の裁判事案を複数用意し、裁判官50名に被告人の量刑を判断してもらうという検証を行いました。この検証の目的は、裁判官の判断にどれくらいのばらつきがあるか調べることでした。
量刑のばらつきは、フランケルの想像以上でした。ヘロインの売人のケースでは、懲役1年から10年の間でばらつきがありました。恐喝事件では、懲役3年で罰金なしという軽いものから、懲役20年と罰金65000ドルという重いものまで、大きなばらつきが出ました。「そもそも恐喝するな」という前提は置いておいて、同じ恐喝事件で刑務所に3年いるか、20年いるかでは人生が大きく変わってしまいます。
1981年には判事208人を対象にした調査が行われました。判事は架空の事案16件について判断を求められました。その結果、判決に関して全員の意見が一致したのは16件中わずか3件でした。また、刑期にも大きなばらつきがありました。ある詐欺事件では、懲役の平均は8.5年でしたが、無期懲役という判断を下した判事もいました。同じ罪状でも、誰が担当するかで量刑が大きく変わってしまう。これは容認できることではありません。
さらに、同じ担当者でも、判断を下すときの状況で結果が変わってしまうことがわかっています。多くの裁判官は、一日の始まりと昼食後は、昼食前と比べて寛大な判断を下しやすいことがわかっています。昼食前の腹が減っている状態だと厳しい判断を下す傾向があるようです。たまたま裁判官の昼食前に回された事案の被告は運がなかったと諦めましょう。また、20万件以上の難民認定審査を分析した結果、暑い日は難民認定を受けられる可能性が低くなることがわかっています。
私たちも「ただでさえ暑くて不快なのに、満員電車で足を踏まれてイライラしている」といった日に「こちらの承認をお願いします」と決裁を依頼されたらどうでしょう。普段なら承認していた案件も、却下したくなることがあるかもしれません。
こういったケースで、判断を下す当事者は決して「イライラしてるから厳しめの判断をしてやろう」と意識することはありません。「私はプロフェッショナルですから、仕事の判断に個人的な感情を持ち込むことはありません」と思っているでしょう。しかし、現実にはあなたも私も、裁判官も無意識のうちに個人的な感情によって、判断にブレが生じているのです。
フランケルの調査に目を着けたのが、ジョン・F・ケネディの弟で、当時上院で大きな影響力を持っていたエドワード・M・ケネディです。ケネディは、量刑に不当なばらつきが生じることを抑制する法律を提案し、法案は1984年に可決されました。
この法律に基づく量刑ガイドラインの概要は以下のようなものです。犯罪の危害の度合いに応じで約40段階のレベルを設定します(要素1)。また、被告人の犯罪歴に関して、前科と重大性を考慮します(要素2)。要素1と要素2を組み合わせて、上限が下限を6か月、または25%以上上回らないような量刑の範囲を設定します。この量刑の範囲を逸脱する場合は、事前に申請が必要となります。
このガイドラインの施行前と施行後を比較して、同種の犯罪に関して量刑のばらつきが大幅に減少したことが確認されています。裁判官の違いによる量刑の差は、施行前では17%だったものが、施工後には11%まで減少しました。
このような成果があったにもかかわらず、ガイドラインは裁判官や法曹関係者には大不評でした。「刑が重くなりすぎる」「個々の事情を無視してはいけない」といった批判が相次ぎました。
このような批判を受けて、2005年に最高裁はガイドラインを法的拘束力のあるものから、拘束力のない勧告という位置付けに格下げする決定を下しました。この決定について、裁判官の75%は肯定し、「これまで通り拘束力があったほうがよい」とした裁判官はわずか3%でした。
裁判官をやっていなくても、こうした裁判官の気持ちは理解できるのではないでしょうか。あなたが何かの分野の専門家で、深い知識と熟練した技術をもち、幅広い権限を与えられているとします。そこで「担当者ごとのばらつきを減らすため、あなたたちの権限を大幅に狭めます。これまで1から10まであなたたちの裁量で決められていましたが、今後は3から7の間で決めてください」と言われたら、どう思いますか。「わかってないなあ。そんな機械的に決められるものじゃないんだよ。的確に判断するから今まで通りの権限に戻してよ」。こんなことを思うのではないでしょうか。
厳しい選抜を潜り抜けてきた裁判官でも、個人の違いや判断時の環境の違いでばらつきが生じるのが現実です。ガイドラインが拘束力を失ってから、裁判官の違いによるばらつきが数倍に増えたことが判明しました。こうしたばらつきによる弊害を少しでもなくすためには、まず「どんな専門家でも判断にばらつきはある」ということを認める必要があるでしょう。
「専門家でも判断はブレる」への1件のフィードバック