ご自由にと言われても

使わなくなったモノを捨てずに、リサイクルしたり、必要な人に譲ったりすることはSDGs(持続可能な開発目標)の観点から重要です。今の時代であれば、不要品を手軽にネットオークションに出すことができます。もし捨てれば当然お金になることはなく、場合によっては廃棄料金を取られていたものが、少額でも売ることができれば儲けものです。

ネットが使えない人や、「ネットオークションは抵抗がある」という人は、昔ながらのフリーマーケットという手段で不要品を処理することができます。それよりもさらに手軽なのは、自宅の前に不要品を置いて「ご自由にお持ちください」としてしまうことです。

今まで数多くのモノが、「ご自由にお持ちください」という手書きの紙をそえて、他人の家の玄関前に置かれているのを見てきました。そういったモノは、「ゴミとして回収してもらえず、売っても買い手がつかない」という状態である場合がほとんどです。したがって、それを見て「じゃあ持っていこうかな」と考えたことは私は一度もありません。

最近も「誰が持っていくの?」と言いたくなるようなモノを新宿で見かけました。

ラジカセです。CDも聞けない、純粋なラジカセです。再生ボタンと録音ボタンを同時に押すラジカセです。ラジカセと書きましたが、ラジオがついているか確証はもてません。

スマホでラジオも音楽も聴ける時代ですから、これを見て「ちょうどラジカセがほしかったんだ」と思って持っていく人はいないでしょうね。SDGsの観点から考えると、いい取り組みではありますが、さすがにこれは諦めて粗大ごみとして出した方がいいんじゃないでしょうか。

私が今まで見てきた中で一番驚いた「ご自由にお持ちください」は、6年ほど前に練馬あたりでみた「金庫」です。ドリンクだけ入れるミニ冷蔵庫みたいな形の金庫が、「ご自由にお持ちください」という紙とともに路上に鎮座していました。写真を撮っておかなかったのが悔やまれます。

「ちょうど金庫がほしかったんだ」という人はなかなか存在しないでしょう。だいたい持って帰ろうと思ったとしても、おそらく20~30kgくらいはあるので運ぶのも一苦労です。金庫を抱えて路上を歩くのは怪しすぎます。

しかし、この金庫の持ち主、一体どういう経緯で金庫を手放すことになったんでしょうか。もともと金庫を持っていた人が、あとで不要になることがあるのか。もう金庫を入れるような資産もないくらいスッカラカンになったのか。

あのときの金庫がどうなったのか、今でもたまに気になります。

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