どんな人でも、自分が実際に経験した世界と比べると、経験したことがない世界の方がはるかに規模が大きいでしょう。人が経験可能な世界の総量を100とすると、ひとりの人間が一生のうちに経験できる世界など1とか2程度に過ぎません。人生経験豊富な人間といっても、経験の総量が普通の人の数倍とか10倍程度であって、知らない世界の方が大きいことには変わりないでしょう。
大人になれば、自分が知っている世界など、世界全体のほんの一部だということに気付きます。それに気付くと、今抱えている悩みなんてちっぽけなものだと安心することができます。しかし若いうちは、身の回りの狭い世界だけがすべてであり、そこで起こった、外の世界から見れば些細な出来事であっても、人生を左右する重大事件であるかのように受け止めてしまうことがあります。
確か私が小学校4年生の時だったと記憶しています。とある同級生が朝の会で行った告発が、クラス全体を揺るがす大事件へと発展しました。その同級生は「昨日AくんとBくんが、帰りに〇〇(学区内のお好み焼き屋)に寄ってました」と発言したのです。
当時私の学校では、「帰るときは寄り道せずにまっすぐ帰ること」「子どもだけで飲食店や娯楽施設などには行かないこと」というルールがありました。それは特別厳しいものではなく、ほかの学校でも似たようなルールはあったと思います。
AくんとBくんは、これら2つのルールを思いっきり破ってしまったのです。担任の先生は「あなたたちは何という悪行をしでかしたんだ!」というテンションで怒りだしました。そして、予定の授業を潰して、AくんとBくんを黒板の前に立たせ、事情聴取を始めました。
「店に行ったのは事実か」「他に誰かいたか」といった聞き取りを経て、Cくんも同席していたことが判明しました。当然Cくんも黒板前に立たされて事情聴取に加わります。
事情聴取は続きます。先生は「誰が何を食べたのか」「会計はいくらだったのか」「誰が払ったのか」「何時に入店して、何時に退店したのか」といった細かい聞き取りをおこない、各容疑者の証言に矛盾があると厳しく追及しました。
大人になった今、冷静に思い返してみると「そこまでするほどのことか?」と言いたくなります。そもそも「それを聞いてどうするの?」という根本的な疑問も浮かんできます。職員会議で報告でもしたのでしょうか。そして報告を受けた他の教師たちは「それは困りましたねえ」と険しい表情を見せたのでしょうか。
自宅と小学校という狭い世界がすべてだった当時の私は、些細な出来事とは思えませんでした。「これは大変なことが起きてしまった・・・」と、凶悪事件の裁判でも見ているかのようなテンションでAくんたちを見守っていたのです。
授業1コマ分を費やして、事情聴取は終わりました。今なら「そんなことで授業を潰すな」と保護者からクレームが来るかもしれません。そのあとAくんたちは、「親抜きでお好み焼き屋に行けちゃうクールな奴ら」としてクラス内でのステータスが上がりました。
その日は少し遠回りして、件の店を見に行きました。「あそこにAくんたちは親抜きで・・・」と感慨深く店を眺めていました。