吾妻ひでおは、1950年生まれ、2019年に亡くなった漫画家です。1969年、『リングサイド・クレイジー』でデビューします。『週刊少年チャンピオン』で連載した『ふたりと5人』がヒットして、ギャグ漫画家としての地位を確立しました。
1980年代半ば頃から低迷期に入り、失踪事件を起こしたり、アルコール依存症のため精神病院に入院したりします。その頃の体験を描いた『失踪日記』がヒットし、日本漫画家協会賞大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、イタリア・グラン・グイニージ賞を受賞しました。
『失踪日記』は大きく分けると3つの話が描かれています。ひとつは、漫画の仕事を放棄して山奥でホームレス生活していたときの話。このときは街に降りてシケモクを漁っているときに警察に連れていかれて、仕事に復帰します。40歳前後のときの話のようです。
ふたつめの話では、仕事復帰後に再び原稿を落として逃亡。このとき吾妻氏は42歳くらい。公園や歩道橋下で寝泊まりしていたときに、上森さん(仮名)という人に声をかけられて配管工になったときの話です。
みっつめの話は、アル中病棟編。吾妻氏が48歳くらいのとき、眠っているとき以外はほとんど酒を飲んでいるという状況に陥り、精神病院に入院させられます。入院中の本人や周りの入院患者たちのエピソードが中心です。
このように書くと、何やら壮絶な体験記のようなイメージですが、吾妻氏のポップな絵柄とギャグで楽しく読むことができます。当時の本人や家族にとっては笑えるような状況ではなかったのでしょうが。
吾妻氏に限らず、ギャグ漫画家はメンタルをやられる人が多いと聞きます。ストーリー漫画であれば「面白い」という観点以外でも評価される余地があります。例えば「絵がいい」とか「構図が斬新」とか「世界観が好き」とか「味がある」など。
しかし、ギャグ漫画は「笑えるかどうか」という評価軸から逃れることはできません。「絵がうまくてセンスを感じるが笑えない」というギャグ漫画は評価に値しないのです。
人を笑わそうするのは非常にエネルギーを要する行為です。人前で「感動した話」とか「むかついた話」は気軽に話せますが、「笑える話」を披露するときは緊張する人が多いのではないでしょうか。「笑いが起きるかどうか」というはっきりした結果が出ますからね。
ギャグ漫画家の場合は、何万人という読者相手に「笑える話」を披露して評価にさらされるのですからそのプレッシャーは大きいでしょう。しかも雑誌連載であれば毎週、あるいは毎月新しい笑える話を発表しなければなりません。お笑い芸人なら、同じネタを違う番組で披露することもできますが、ギャグ漫画家は一度披露した話はもう使えないというのが大変なところです。
『失踪日記』を読んでいると、人間の順応力を改めて実感しました。吾妻氏は19歳くらいで漫画家デビューしているので、漫画以外の仕事はほぼ知らないでしょう。しかしホームレス時代には、山奥に毛布を敷いて寝泊まりし、夜人通りが少なくなったら街に出かけて食料を集めるという生活を成立させていました。
ある夜、街を歩いていると吾妻氏は某大手スーパーを発見します。スーパーのゴミ捨て場をのぞいてみると、賞味期限切れだがまだ食える弁当・おにぎり・惣菜・菓子パンなどの宝の山。その日から吾妻氏の生活は一変し、持ち帰ったものを食べきれず腐らせてしまうほどになり、ホームレスなのに失踪前より太ってしまいました。
配管工編では、最初は慣れない仕事に戸惑いますが、のちに内管工事の教育を受けてしっかり仕事をこなせるようになります。
勤務している配管工の会社が日本ガスの下請けで、日本ガスの社内報にあった原稿募集に吾妻氏は応募します。そのとき描いた漫画が掲載されることになり、吾妻氏はインタビューを受けて写真まで載りました。しかし、誰も「社内報に載ってるの漫画家の吾妻ひでおじゃない?」と気づかなかったそうです。
他にも悲惨だけど笑えるエピソードが満載の『失踪日記』。心が疲れているときに読むと、癒し効果があるかもしれません。