猫の皿と逆選択

最も関わりたくない相手を自分に引き寄せてしまう現象を「逆選択」と呼びます。保険会社にとってがん保険に入ってほしい顧客とは、がんにかかりそうにない健康な顧客です。しかしそのような人は、なかなかがん保険には入ってくれません。

がん保険に入りたいと思うのは、普段から不健康な生活をしている人や、すでに健康状態を崩している人です。そういった人たちは、自分のリスク要因を隠して保険に入ろうとするかもしれません。そうなると、保険会社は予想よりも保険金の支払いが増えることになり、がん保険が成立しなくなる可能性があります。

人材採用の場面においても逆選択が発生します。あなたの会社が年収800万円でエンジニアの募集をかけたとします。今のご時世、これだけの給与を提示すればある程度の応募はあるでしょう。では、応募者の中で最もあなたの会社に入りたいと思っているのはどんな人でしょうか。それは、他の会社ではとても800万円も貰えない人物です。そして、あなたの会社が本当に雇いたいと思っている人は、恐らく応募してこないでしょう。その人はよそで800万円以上稼ぐ能力があるからです。

企業が経営再建を図るために、早期退職制度を実施することがあります。主に年齢が高い従業員を対象に、希望者が自主的に退職することを促進する制度です。会社としては、組織の若返りや、人件費の抑制といったメリットがあります。また多くの場合、早期退職を利用する側にも、退職金の割り増しや再就職のためのサポートといったメリットが企業側から提供されます。

早期退職制度を実施する企業としては、逆選択のリスクに注意する必要があります。この制度を真っ先に利用したいと思うのは、満足できる再就職先がすぐに見つかりそうな有能な従業員です。早期退職しても他では雇ってもらえそうにないと考えている従業員は、応募せずに会社にしがみつくでしょう。結果として、有能な人材に割増の退職金を払って出て行ってもらい、有能でない人材が引き続き会社に残ることになります。

こうした逆選択のリスクを避ける方法として、指名解雇があります。会社が無能と判断した従業員を指名して、辞めてもらう方法です。この方法を使えば逆選択のリスクは回避できますが、別の問題が生じます。日本では従業員が労働法で手厚く守られているため、簡単に解雇できないようになっています。指名された従業員が素直に応じなければ、その対応に大きなコストがかかるリスクもあります。

落語に「猫の皿」という噺があります。古美術商を営んでいる男が、街道沿いの茶店で休んでいました。店の猫が餌を食べている様子を見ると、餌を乗せている皿が非常に高級なものであることに気付きます。「300両は下らない逸品だ。こんな高級品を猫の餌用にするなんて店主は物の価値を知らないな。うまく買い叩いてやろう」と思った男は、店主に「この猫が気に入った。3両で譲ってくれないか」と持ち掛けます。

店主が承諾すると男は「猫は皿が変わると餌を食べなくなるというから、この皿も一緒に持っていくよ」と言うと、店主は「猫は差し上げますが、これは300両は下らない名品ですから売れませんよ」と告げます。男は驚いて「それを知っていてなぜ猫の皿に?」と聞くと、店主は「こうしていると時々猫が3両で売れます」というオチです。

「猫の皿」でも逆選択の状況が生じています。男は、300両以上の価値がある皿という情報を知っていて、店主はそれを知らないと思っています。噺の中では店主がそれを逆手に取るのですが、現実には本当に皿の価値を知らないケースが多いのではないでしょうか。

逆選択は情報量に格差がある状況で発生します。熱心にあなたに何かを売ろうとか、あなたの品を買い取ろうとする人がいたときは、猫の皿のことを思い出してみてください。熱心に売ろうとするのは、本来その品にそこまでの価値がないからであり、熱心に買い取ろうとするのは、その品が買い取り額よりはるかに価値があるからなのです。

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