「期待値」とは、確率変数がとる値とその値をとる確率の積を足し合わせたもので、確率変数の平均値を表します。「さいころを振って奇数が出たら1万円もらえて、偶数が出たら5千円を失う」というゲームがあったとします。この場合の期待値は、1万×0.5ー5千×0.5=2,500円となります。
期待値を利用することで、不確実性のある意思決定について合理的に判断できるようになります。先に説明したさいころゲームの例でいえば、期待値が+2,500円ですから参加した方が得ということになります。「期待値が〇〇以上であればGOサイン、それを下回れば見送り」というように基準を決めておけば、そのときの気分に左右されない一貫した判断ができます。
こう書くと期待値が万能ツールのように見えますが、実際には期待値を利用することがかえってマイナスにつながることも多いのです。期待値の計算では、「ある事象が起こる確率」と「ある事象が起こったときの結果」というファクターが用いられます。最初の例のように、正確に確率と結果が出せればよいのですが、実社会においては正確な確率と結果を出せないケースの方が圧倒的に多いのです。
成功する見込みが低いチャレンジをするために、期待値が利用されることがあります。会社を辞めて、動画配信で生きていこうと考えている人がいたとします。動画配信で生活できるほど稼げる人はごくわずかです。しかし、もし当たれば会社員の数倍、数十倍稼げるかもしれない。
動画配信で成功を収める確率を1%、成功した場合の年収を5億円とすると、動画配信者になった際の年収の期待値は、5億円×1%=500万円。今の会社員で得られる年収よりも高い!これはやるしかない!
そう思うのは自由ですが、実際の期待値は500万円よりだいぶ低いでしょう。動画配信の参入者数を考えれば、成功率1%という見積もりは高すぎます。成功した場合の年収5億というのも、盛りすぎでしょう。今回の期待値計算が甘すぎるというのは、誰でも理解できると思います。ビジネスの現場でも似たようなケースが起こり得ます。
私がかつて在籍していた企業では、事業部の売上目標を達成するために、期待値を利用したツールを発明しました。ツールの名前は仮に「目標管理シート」としましょう。営業担当者は、月末までに目標管理シートの必要事項を埋めて上司に提出します。
目標管理シートには、見込み顧客の名前を列挙します。次に、それぞれの見込み顧客について、提案する商品の金額とその見込み成功率(「確」なら100%、「A」なら80%、「B」なら50%、「C」なら20%)を記載します。見込み顧客Xの提案金額が100万円で、見込みAならXの売上期待値は80万円ということになります。この要領で全見込み顧客の売上期待値を算出し、その合計額が、その月における営業担当者の売上予測となります。
上司は部下から提出された目標管理シートを精査します。売上予測がその担当者の売上目標+αになっていれば、原則として合格です。売上予測が目標を下回っていれば作り直しです。目標ちょうどくらいだったときも、下振れのリスクを考慮して作り直しとなります。最終的に、月末までには翌月の売上予測が目標を一定以上上回っている状態になります。
あとはこの予測が現実になるように頑張るだけ。理論上は、多少の下振れがあってもほとんどの営業担当者が目標を達成し、事業部全体としても目標達成となるはずでした。ところが現実には目標未達の営業担当者が多発し、事業部全体でもしばしば目標未達が発生しました。
なぜこんなことが起こってしまうのか?動画配信者の例と同じく、期待値の素になっている数値が正確でないことが原因です。見込みCは成功率20%ということになっていますが、現実の成功率は5%もなかったと思います。見込みCに挙げられる顧客は、ほとんどが売上予測の合計値を底上げするために無理くり載せられていたものでした。見込みA、見込みBも、最終結果は本来の成功率より低い数値でした。また、提案金額が100万と記載されていて、結果として売上になったときに金額が100万円より大きく減っている案件も多発しました。
計算の素になる数値が間違っていますから、当然その結果は予測とは異なるものになります。では、これは誤った内容で予測をした営業担当者が悪いのでしょうか。私はそうではないと考えています。
普通に翌月の売上予測を作ると、目標の80%にしかならない。このままでは当然上司に突き返される。目標を上回る売上予測にするためには「見込み顧客を増やす」「提案金額を上げる」「成功見込みをC→B→A→確とアップさせる」、これらを実行する必要があります。そうするために、営業活動を頑張るのが理想でしょう。しかし、頑張らなくても売上予測を上げる方法がありますよね。そう、目標管理シートのデータを操作すればいいのです。
「おそらくMAXで100万円だろう」と思っている顧客の提案金額を100万から150万円に増やす。「見込みはBくらいだろう」と思っている顧客の見込みをBからAにする。こういった操作をエクセル上で何回か行うだけで、売上予測が目標を超えて、上司からの追及がやむとしたら・・・たいていの人間は、実際の顧客に働きかけるよりエクセルの操作をすることを選ぶのではないでしょうか。
目標管理シートは、そういった人間心理を考慮せずに運用されたために失敗に終わりました。ではどうすればよかったのか。今回のケースではその答えは思いついていませんが、別の会社での成功例は前回のブログに書いてありますのでご参照ください。