文筆家、トレーダー、大学教授など様々な顔をもつナシーム・ニコラス・タレブは、その著書『身銭を切れ』で、「ある種の非妥協的な少数派集団が、たとえば総人口の3、4パーセントとかいう些細な割合に達しただけで、すべての人が彼らの選好に従わざるを得なくなる」と述べています。これをタレブは「少数決原理」と呼んでいます。
欧米では少数決原理によって、オーガニックフード会社の売上がどんどん伸びているそうです。農薬・除草剤・遺伝子組み換え生物が含まれている食品にはリスクがあると考える人が一定数います。そういった人たちは、農薬や遺伝子組み換えの技術などを用いないで作られたオーガニックフードしか食べません。
オーガニックフードしか食べない人は、全体から見れば少数派でしょう。ところが、オーガニック派の人が様々な地域にまんべんなく散らばって、地域の5%程度を占めることができたら、全員がオーガニックフードを食べることになります。なぜそんな結果になるのでしょうか。
農薬等を使った食品や遺伝子組み換え食品を抵抗なく食べられる人は、オーガニックフードも食べられます。しかし、オーガニックフードしか食べない主義の人は、遺伝子組み換え食品は口にしません。この「逆は成り立たない」というのがポイントです。
オーガニック派が5%いる地域で、結婚式やパーティが開かれるとします。非オーガニックの食品を使った料理を出してしまうと、参加者の5%は食べることができません。かといって、参加者全員に好みを聞いて、一部の参加者だけにオーガニックフードを使った料理を出すのも手間がかかります。この場合、全員にオーガニックフードを使った料理を出すのが解決策になりそうです。非オーガニック派の人たちは「農薬を使った食品や遺伝子組み換えの食品を出せ」とは言わず、オーガニックフードを食べてくれます。
このようにして、様々な場面でオーガニックフードが選ばれることが増えれば、小売店や卸、生産者もそれに対応してオーガニックフードの生産や扱いを増やすでしょう。これが、大多数の人は食品に農薬を使っているか、遺伝子組み換えかを気にしていなくてもオーガニックフードが増える仕組みです。
日本でも、SDGsや環境問題への意識が高い人たちがいます。彼らは全体から見れば少数派で、そういったことは特に気にしないという人の方が多数派でしょう。infoQというネットのアンケートによると、「個人または家族でSDGsに取り組んでいるか」という質問に対して「取り組んでいる」と回答したのは18.8%でした。ちなみに「取り組む予定である」「取り組む予定はないが今後取り組みたい」と答えたのは合わせて約47%でしたが、彼らのほとんどは一生取り組むことはないでしょう。
実際にSDGsに取り組んでいる人は少数派ですが、たいていの場合強い信念をもってやっています。その情熱が企業を動かし、企業はSDGsに配慮した商品を作り始めます。SDGsガチ勢は、SDGsに配慮した商品しか買いません。一方で、SDGsに熱心でない人のほとんどは、SDGsに反対というわけではありません。
SDGsに取り組んでいない人がある品物を買おうとするとき、棚にはSDGsに配慮した商品とそうでない商品があったとします。値段や質がそう変わらないのであれば「今回はSDGsに配慮したやつを買ってみるか。なんか流行ってるらしいし」となることもあるでしょう。このようにして、実際に取り組んでいる人は少なくても、SDGsの動きが社会全体に広まっていきます。
現在、回転寿司の大手チェーン店では、寿司はワサビ抜きで提供されます。ワサビが必要な客は、自分でワサビを加えることができます。2016年の「しらべぇ」の調査によると、寿司をワサビ抜きで頼む人の割合は以下のようになっています。
20代 20.1%
30代 15.3%
40代 10.7%
50代 10.4%
60代 3.8%
割合が一番多い20代でもワサビ抜き派は約20%で、少数派です。しかし、ここでも少数決原理によって回転寿司店は寿司をワサビ抜きで提供するようになります。
寿司をワサビ抜きで頼む人たちは、たいていワサビ入りの寿司は食べられません。また、いちいち「ワサビ抜きで」と頼むのは面倒だと考えます。一方、ワサビ入りの寿司を好む人は、ワサビ抜きの寿司も(多少物足りないと思うかもしれませんが)食べることはできます。必要であれば自席でワサビを加える手間も厭いません。
回転寿司店でワサビ入りの寿司を流すと、ワサビ嫌いの客だけではなくワサビOKの客も逃してしまう場合があります。4人家族で下の子がワサビNGだとします。ワサビ入りの寿司が流れる店に行って、下の子のためにいちいちワサビ抜きを頼むのが面倒だと思われたら、その店はワサビ嫌いの客1人とワサビOKの客3人を失うことになります。
大手回転寿司店は、ワサビ抜きを頼むのを嫌がる少数派の客とその同伴者を逃がさないために、最初からワサビ抜きで提供するようになりました。多数派のワサビOKの人たちにひと手間をお願いして少数派の人にも来てもらうことを選んだというわけです。ここで、ワサビ派が「最初からワサビをつけてくれないのなら店にはいかない!」とはならないのがポイントです。
少数決原理が機能するためには、「少数派が妥協を許さないこと」と「多数派が少数派に合わせられること」というふたつの条件が必要です。もしあなたが少数派で自分の主義を通したいのであれば、「こいつは絶対妥協しないやつだ」と多数派に思わせることです。妥協しない姿勢を見せつつ、同志を一定数集められればあなたの思いを通せる確率が高まるでしょう。