中国戦国時代の思想家、韓非子が好きで、折に触れて読み返しています。韓非子は、初めて中国全土を支配した強国、秦の政治家であった商鞅の法令について次のように述べています。
商鞅の法令によると、「敵の首をひとつ斬ったには爵位を一級進め、その代わりに官吏になりたいという者には俸給五十石の官吏の位を与える。敵の首をふたつ斬った者には爵位を二級進め、その代わりに官吏になりたいという者には俸給百石の官吏の位を与える」とある。つまり、爵位や官吏の昇給が敵の首を斬った数に対応しているということだ。もしも「敵の首を斬ったら医者や大工にならせる」という法令があったら、国中の病気は治らないし家屋は完成しない。医者の主要な仕事は薬の調合であるし、大工は手先が器用なことが必要だ。にもかかわらず、敵の首を斬った功績によって医者や大工にならせたとすれば、医者や大工という職業はその手柄を立てた人物の才能にふさわしくない。官吏としての仕事に必要なものは智謀と才覚である。敵の首を斬るのは勇敢さと腕力が必要である。勇敢さと腕力がものをいう分野、つまり戦場での功績によって、智謀と才覚が必要な官吏の仕事をおこなうのは、敵の首を斬った功績によって医者や大工にならせるのと同じことである。
要するに、「商鞅の法令は、官吏の才能と関係ない功績によって官吏として取り立てている」と批判しているわけです。このような現象は、古代中国だけではなく現代の世界でも見られます。
現役時代に優れたパフォーマンスを残した選手が、引退後に監督などの指導者になることがよくあります。しかし、選手として競技能力が優れていることと、チームを率いて勝利に導くこととは別物であり、それぞれ異なる能力が求められます。
ビジネスの世界でも同様のことがいえます。直接顧客に接して契約を取ってくる営業担当者と、営業メンバーをまとめて部門全体での成果を上げる営業部門でのマネージャーは、それぞれ異なる能力が必要となります。また、コードを書いてシステムを作り上げるプログラマーと、プログラマーをまとめるマネージャーも、異なる能力が必要です。
ところが、多くの組織では契約件数がトップの営業マンや、優れたプログラマーをマネージャーに昇進させます。もちろん、彼らがマネージャーとしても優秀である場合もあります。しかし、マネージャーとしての適性がなかったために、ひとりの優秀なプレイヤーがいなくなり、さらに彼らがマネージャーとして担当した部門がガタガタになるという悲劇もよく起こります。
抜擢する側としては、マネージャーに昇進させる人物として、トップクラスのプレイヤーを選びたくなるものです。なぜなら、周りが納得しやすいからです。仮にうまくいかなかったとしても、「トップクラスの働きをしていたあの人でダメだったらしょうがない」という言い訳にもなります。
「プレイヤーとしてはそこそこだが、マネージャーとしての適性が高い」と判断した人物を昇進させるのは勇気がいるものです。トッププレイヤーは、「営業成績」「成果物の質」「仕事のスピード」など、その能力を客観的に示すことができる指標をもっています。
一方で、マネージャーの適性というのは、なかなか可視化した指標を示しづらいものです。マネージャーになった後であれば、担当部門の成績など客観的な数字も見られます。ところが、「マネージャーの適性があるプレイヤー」の場合、誰が見ても納得できるような、適性を証明する指標というものは持ち合わせていないことが多いでしょう。
そういったわけで、「プレイヤーとしては普通だがマネージャーの適性が高い」という人物がマネージャーに昇進すると、「なんであの人が」と納得できない人も出てくるでしょう。また、昇進後に失敗したら「たいして成果も出してない奴を昇進させるからだ」という声が上がることが予想されます。そのため、抜擢する側も慎重にならざるを得ないのです。