1984年、当時18歳の大学生がニューヨークの病院で亡くなりました。原因は研修医による投薬ミスです。研修医は当日19時間以上働き続けていました。この医療事故をきっかけに、インターンの長すぎる労働時間が批判を浴びました。インターンとは1年目の研修医のことであり、当時のインターンは週に120時間働くのが普通でした。休みなしで1日17時間以上働く計算で、これだけ働いていてはいつミスが出てもおかしくありません。
2003年には研修医の勤務時間を週80時間以内とすることが義務付けられました。しかし、それ以降も研修医の長時間勤務問題は終わらなかったのです。その後の調査によると、一般外科研修プログラムで週80時間以内の勤務に収まったのはたったの3分の1でした。長時間労働は、研修医の心身を蝕み、担当患者も危険にさらされるというのになぜやめられないのでしょうか。
問題は「引継ぎ」というフェーズで発生していました。午後9時前後、インターンが当直の研修医と交代する際、インターンは担当患者の状態を先輩研修医に説明して引き継ぎます。ところが、実際には引継ぎがおこなわれないことも頻繁に起きていました。引継ぎがされなかった場合、インターンは事務作業を先輩研修医に預けることができずに自分で抱えたままになります。その結果、インターンは深夜まで残ったり、翌日に早出をして事務作業を片付けることになります。このようにして、インターンの勤務時間が長くなってしまうのです。
引継ぎがうまくいかない背景には、悪しき伝統の連鎖がありました。先輩研修医がインターンだったときは、当時の先輩研修医に引継ぎができずに事務作業を自分で処理していたという過去があります。当時の先輩研修医がインターンだったときも同様です。医師は皆、インターン時代に膨大な事務作業をこなしてきました。それなのにここに至ってインターンが引継ぎをおこない、先輩研修医が事務作業をおこなうのは不公平ではないか、という理屈なのです。
確かに気持ちはわかります。改革の境目にあたった研修医は、インターン時代に大量の事務作業をおこない、先輩研修医になった今でも、かつてインターンに押し付けられていた事務作業をやることになります。しかし、それが正しいことなのであれば受け入れるべきでしょう。
日本では、数十年前の部活動において先輩から後輩への度を越したしごきがありました。今ではそういったことはかなり少なくなりました。変革期にあたった人は、「下級生のときは先輩にいしごかれて、上級生になったらしごきが禁止になった」という事態になります。だからといって、「一方的にしごかれた世代がかわいそうだからしごきは継続しよう」とはならないでしょう。どこかで負の連鎖は断ち切る必要があるのです。
インターンの問題に戻りましょう。多くの病院では「引継ぎをしっかりやってインターンの勤務時間を減らそう」という機運が盛り上がりました。しかし、それでも改革を妨げる要因が残っていました。それはインターン自身だったのです。
改革ムードが高まっても、あえて引継ぎをしないインターンは大勢いました。彼らは、先輩研修医に仕事を預けず頑張って働き続けることが重要だと考えていました。長時間労働により自身が疲弊し、医療ミスのリスクが高まったとしても、必死に働く姿勢を見せることを優先したのです。
私の身近にもこういった人はいました。データの分析やまとめといった業務を大量に抱えて、いつも忙しい忙しいと言い、毎日長時間働いている人でした。見かねた上司が「担当業務を見える化して、他のスタッフに引き継ごう」と提案したのですが、その人は承諾しません。「引継ぎ資料を作る時間がない」「そもそも自分が担当している業務は特殊で、他の人に任せるのは難しい」と主張しました。
実際には、特定の個人にしかできない業務などそうありません。その人の場合は、担当業務を他の人に引き渡したら自分の価値が下がってしまうという危機感から、引継ぎに難色を示したのではないかと思っています。引継ぎをしないインターンの場合は、先輩研修医に業務を引き継いで「熱心ではない」「責任感がない」と思われてしまうのを恐れたのでしょう。
インターンの例でいえば、規則を変えるだけでは問題を解決することは難しいようです。「自分の休息を削って働くのが美徳」という文化を変えて、インターンが自発的に引継ぎをする土壌を作ることがポイントになりそうです。