アメリカのある大手薬局チェーンでは、薬剤師が使用期限切れの薬を処方してしまうミスが頻発していました。これは患者の命に関わる問題であり、巨額の損害賠償につながるリスクもあります。
当初経営陣は、薬剤師に原因があると推測しました。業務マニュアルでは、薬を処方するときは使用期限を確認することになっていました。薬剤師がマニュアル通りきちんと確認すれば問題は解決すると考えたのです。しかし問題の本質は別のところにありました。
この問題を解決するために招かれたヒューマンエラーの専門家、邱強は経営者に対して、薬剤師がマニュアルを守る負担をゼロにすれば問題は解消すると伝えました。経営者は「日付を確認するだけのことがどうして負担になるんですか?」と懐疑的でした。
邱強はこれに対して「薬剤師は常に3つも4つも、あるいはそれ以上のことに注意を払っています。簡単な作業でもやることが増えると注意力に負担がかかるのです」と説明しました。薬剤師でなくても似たような経験をしたことがあるでしょう。普段は目をつぶってもできる作業なのに、同時に電話やメールなど別の作業を進めていると、うっかりミスをしたり、作業そのものを忘れてしまったりするものです。
邱強がこの会社の薬剤師5000人にアンケートをおこなったところ、4000人が「薬の使用期限の確認が負担になっている」と回答しました。会社はミスを減らすためにペナルティを重くしていました。使用期限切れを見落としたら減点・減給・出勤停止といったペナルティが与えられていたのです。こういったペナルティは薬剤師への大きなプレッシャーになっていました。
邱強の改善案はシンプルでした。それまで効能別に分けられていた薬を、使用期限別に分けることにしました。使用期限が同じ薬を同じ棚に置いて、棚ごとに使用期限がわかるようになりました。また、期限切れが命にかかわる可能性がある薬については容器にタイマーをつけて、期限が近付いたらアラームがなるようにしました。このようにして期限が切れた薬を確実に廃棄できるようにしました。
この手法をエラーが多かった5つの薬局で試験運用してみたところ、マニュアルの違反は激減しました。1万件の処方当たり78件エラーが起きていたのが、5件にまで減少しました。「ミスをしないようにしっかり注意しよう」ではなく、「ミスの原因そのものを取り除く」ことによってミスを大きく減らすことができたというわけです。
今回の改善策では、期限が切れた薬を処方するエラーを減らす以外のメリットもありそうです。薬が期限別保管されることによって、期限が近い薬を優先的に使うことができます。そのため、薬の廃棄率も減らすことができそうです。
薬剤師へのペナルティについても触れておきましょう。マニュアル違反には意図的な違反と意図しないうっかりミスがあります。意図的な違反には、ペナルティが有効です。薬剤師が面倒くさいからといってわざと使用期限の確認を怠ろうとするとき、重いペナルティが頭をよぎって踏みとどまるかもしれません。
ところが、今回の話では薬剤師はわざと確認を飛ばしているわけではありません。多忙すぎて作業を忘れてしまっていました。この場合ペナルティはむしろプレッシャーとなり、薬剤師の注意力をさらに削いでしまいます。ペナルティがむしろミスを増やす要因になるのです。
ミスを減らしたいと思ったら、まずはミスの原因そのものを取り除けないか考えてみるとよいでしょう。