「議論」とは、意見を論じ合うことを意味します。議論における反則行為のひとつに「人格攻撃」というものがあります。人格攻撃とは反論相手、またはその議題に関連する人の人格などを攻撃する論法のことです。
例えば、「増税は是か非か」という議論をしているとします。賛成派は、増税が必要な根拠を示すでしょう。さらに、増税した場合のデメリットも考慮しつつ、それを差し引いても増税した方が得られるものが大きいことを説明できれば、より有利になるでしょう。
一方、反対派は増税をしなくても増税をしたときと同等の効果が得られる方法を示したり、増税のメリットよりもデメリットの方が大きい根拠を示すことによって賛成派を攻撃するでしょう。
人格攻撃は、このような論点に関する議論をせずに、自分と相容れない意見の人たちの人格を攻撃します。具体例を挙げてみます。
「男/女/〇〇人にこの問題がわかるわけない」
→変えようのない属性を用いて否定する
「金持ち/貧乏人が言っても説得力がない」
→その人のもつ性質を非難する
「以前〇〇してたくせによくそんなことが言えますね」
→過去の行いを非難する
いずれも、議論の方法としては間違っています。議論はその主張内容によって判断されるべきで、その人の性別・職業・過去などによって判断がぶれてはいけません。議論の途中で人格攻撃が出たら、その時点で人格攻撃した人が負けなのです。
・・・といっても、ここまでは理論上のお話です。ディベート大会では通用しても、現実世界では理想ばかりは言っていられないようです。200名を超える被験者が参加した実験によると、人格攻撃を受けた人は、論理的に異論をぶつけられたときと同じくらい自分の主張に自信をなくすという結果が出ました。
議論で不利になった人が、「この前xxxxxxxしてたおまえにそんなこと言われたくないね!みんなおまえの言うことは信頼できないって言ってるぞ!」と人格攻撃を使って反撃したとします。ディベート大会なら反則負けです。しかし審判のいない現実の議論だと、人格攻撃された方がシュンとなって、その後の議論を自信をもって進められなくなるようです。
政治家は人格攻撃の威力をよく理解しています。彼らはしばしば選挙戦において、ライバルの主張を論理的に崩すのではなく、ライバルの人格攻撃をすることによって戦いを優位に運ぼうとします。選挙戦で人格攻撃が用いられるのは、その方が効果があるからです。政策論争でライバルを論破するより、ライバルが不倫をしていたことをすっぱ抜いた方が有利になっちゃうんです。これは、有権者側にも原因があります。
当然ながら、「不倫くらい多めに見ろよ」と言ってるわけではないというのはご理解ください。また、プライベートであっても、政治家としての資質を疑われるような問題行動は非難されても仕方ないでしょう。真っ当な議論よりも、人格攻撃の方が世間の注目を集めているとしたら問題だと言っているわけです。
不当な人格攻撃をなくして、純粋に論理だけで議論を進めるためにはどうすればよいのでしょうか。まず、周囲の人間が正当な議論と人格攻撃を区別できるようになることです。そして、「人格攻撃は不当なテクニックであり、それを用いる人こそ信頼できない」という認識を広めていく必要があります。
Aが「Bは〇〇な人間だ。そんな奴の言うことは信用ならない!」と発言したとします。そこで、「そうか。確かにBは信頼できないな」ではなく、「それって人格攻撃じゃないか。そんなことを言うAの方が信頼できないな」という反応をする人の方が多数派になれば、自然と人格攻撃を使う人も減ってくるでしょう。