確率を無視した判断をしてしまうわけ

ダニエル・カーネマンらは、人間の判断と論理との関係について調べるためにある実験をおこないました。この実験ではリンダという女性が登場します。

リンダは31歳の独身女性です。外交的で大変聡明です。学生時代の専攻は哲学でした。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心をもっていました。また、反核運動に参加していたこともあります。

参加者は上記の文章を読んだうえで、次の8つの選択肢の中からリンダの現在の姿として当てはまりそうなものから順位をつけました。

1.リンダは小学校の先生である
2.リンダは書店員でヨガを習っている
3.リンダはフェミニスト運動の参加者である
4.リンダは精神医学のソーシャルワーカーである
5.リンダは女性有権者同盟のメンバーである
6.リンダは銀行員である
7.リンダは保険の営業をしている
8.リンダは銀行員で、フェミニスト運動の活動家でもある

この実験がおこなわれたのは1980年代で、当時はフェミニスト運動が盛んでした。今はフェミニスト運動と言われてもピンとこない人が多いかもしれません。女性解放思想に基づく運動の総称のことで、リンダの人物像はフェミニスト活動家のと合致しています。また、多くの人がリンダの人物像は保険の営業や銀行員とはかけ離れていると感じます。

ここで「6.リンダは銀行員である」と「8.リンダは銀行員でフェミニスト運動の活動家でもある」という2つの選択肢に注目してみましょう。リンダがどのような人物であろうと、8の確率は6より必ず低くなります。仮に銀行員の総数が10万人だとすると、フェミニストの銀行員は必ず10万人以下になります。あなたが住んでいる町の総人口が10万人だとすると、町の男あるいは女の人数は必ず10万人以下になるのと同じ理屈です。

ところが実験では、リンダが「フェミニストの銀行員」である可能性が「銀行員」である可能性より高いと評価した参加者が8割以上いました。参加者には確率・統計について専門教育を受けた大学院生も含まれます。そのような高い知性をもった人間でも、論理を無視した結論を出してしまうことがわかります。

なぜこのような間違いが起こってしまうのでしょうか。リンダの人物像は銀行員からかけ離れています。しかし、「銀行員でありフェミニスト活動家でもある」と言われると、「柄にもなく銀行に就職したがフェミニスト活動は継続しているリンダ」の姿をリアルに想像できるでしょう。そういったリアリティが、論理や確率を無視させてしまうのではないでしょうか。

別の実験では、参加者にテニス選手のビヨン・ボルグの勝敗を予想してもらいました。実験当初、ビヨン・ボルグは全盛期で、世界でも有数のトッププレイヤーでした。古すぎてピンとこない人は、全盛期の大坂なおみ選手に置き換えてみてください。

1.ボルグが勝つ
2.ボルグは第1セットを落とす
3.ボルグは第1セットを落とすが試合には勝つ
4.ボルグは第1セットをとるが試合には負ける

2は「ボルグは第1セットを落として試合には勝つ」と「ボルグは第1セットを落として試合には負ける」の2つの可能性が含まれます。つまり、2は3よりも大きな集合であり、2の確率は3よりも大きくなります。ところが、参加者の約7割が2よりも3の方が可能性が高いと評価しました。「ボルグは第1セットを落としても最終的に勝利するだろう」という予想が、確率論を無視させたといえます。

こういった間違いを避けるために、いったん事前情報を無視して考えてみるのがいいでしょう。リンダ問題の場合、リンダの人物像を聞かない状態で「銀行員」である可能性と「フェミニスト活動家の銀行員」である可能性、どちらが高いか聞かれたら、論理的に正しい判断ができる人が多くなるでしょう。テニス問題の場合、ビヨン・ボルグのことをまったく知らない人であれば、惑わされないかもしれません。余計な知識がない方が正しい判断ができる場合もあるのです。

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