過去事例に学ばないシンドローム

行動経済学者のダニエル・カーネマンはイスラエル教育省の役人を説得して、判断と意思決定を高校生に教える必要性を認めさせました。そして、そのためのカリキュラムと教科書の作成に着手しました。カーネマンは、ベテラン教師や教え子、専門家などに声をかけてチームを編成しました。

チーム編成から1年、週1回メンバーで集まってカリキュラムの大枠を決めたり、教科書の最初の数章分を書いたりしました。プロジェクトは順調に進んでいるように見えました。カーネマンはメンバー全員に、教科書の最終案を教育省に提出するまでに何年かかるか予想してもらいました。全員の予想は1年半から2年半の間に収まりました。

チームにはカリキュラム作りの専門家であるセイモア・フォックスも参加していました。フォックスはこのようなプロジェクトを相当数見たことがありました。カーネマンはフォックスに「あなたが今まで見てきたプロジェクトは、現在の状態から教科書が完成するまでにどれくらいの期間がかかりましたか」と聞いてみました。

この質問を受けて、フォックスは動揺しながらこう答えました。「今の私たちと同じ段階にあったチームの全部がプロジェクトを完成したわけではない。およそ4割のチームは完成に至らなかった。また、完成したチームは7年から10年程度かかった」。さらに、フォックスによるとカーネマンのチームのスキルやリソースは、フォックスがこれまで見てきたチームと比較して平均以下だと見積もりました。

平均すると4割が失敗し、完成したチームでも7年以上かかるプロジェクトに、スキルやリソースが平均以下のチームで臨む。この事実を前提に考えると、カーネマンのチームが2年半で教科書を完成させるという予想はとてもできないでしょう。しかし、この事実を知っていたはずのフォックスも、2年半以下の予想をしていたのです。

このように、客観的な事実によらない予想をもとにプロジェクトを進めていくのはよくあることです。あるプロジェクトに関して、プロジェクトオーナーが「いろいろな都合上、2年以内には完成していてほしい」という願望をもっていたとします。そうすると、プロジェクトマネージャー以下、メンバーたちは「2年以内に完成させたい」という願望を「2年以内に完成するだろう」という予想にすり替えてしまいがちです。

だいたいこれは無意識のうちに行われます。過去の類似プロジェクトでは平均5年かかっていたという事実があっても無視されます。あるいは、「過去のプロジェクトでは5年かかっていたが今回はXXXなので2年以内で完成できるはずです」と主張します。XXXの部分は、「メンバーが以前より優秀」「より効率的な手法で進める」といったフレーズが入ります。「本当にそれで2年以内に完成するの?」と懐疑的なステークホルダーがいる場合は、XXXの部分がどんどんリッチになっていきます。要約すると「気合でやりきります」くらいのことしか言ってないような場合もままあります。

カーネマンのチームは、「普通に考えたら2年半以内に終わるというのはあり得ない」という事実を知った後どうしたでしょうか。支離滅裂な議論を交え、最終的に「なかったことにして進めよう」という結論に達したそうです。最終的に教科書は8年後に完成しました。かなり知性が高いメンバーが集まったチームだったと思うのですが、それでもこういうことになるのです。

カーネマンのプロジェクトの顛末でもわかるように、結論ありきの理想的な予測より、過去の類似案件を参考にした方が正確な予測ができます。過去事例よりも大幅に優れた結果を望むのであれば、それなりの根拠が必要となります。例えば、これまでよりも豊富なリソース(予算や人的資源)を投入するなど。そういった投資をせずに、従来通りのリソースで従来を上回る結果を求めるのは無謀だと言わざるを得ません。

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