正常性バイアスと演劇論

今朝、近所のコンビニへ行く途中の話。遠くに黒っぽいカジュアルな服装の人たちがたくさん集まっていて、カメラやその他の機材が見えます。映画かドラマの撮影が始まる前の準備中といった感じです。なんとなく眺めながら歩いていると、撮影隊がいる方から「オラァ〇×▼△!!」という文字にならないような怒号が聞こえました。ケンカかと思って一瞬ドキリとしたものの、ケンカのシーンで役者が撮影前に練習しているのかと思い直して撮影隊のそばを通過してコンビニに入りました。

コンビニで買い物している途中で、パトカーの音が聞こえました。随分近くのようです。買い物を済ませて家に戻っている途中で、撮影現場をふと見るとパトカーが止まっていました。男性が警察官に拘束されてパトカーに入っていきます。カメラで撮っている様子はありません。あの怒号は役者のものではなく、本当のケンカだったようです。

この光景をみて、「正常性バイアス」ということばを身をもって体験しました。正常性バイアスとは、異常事態が起こった際に、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働きのことです。正常性バイアスは、様々な変化や新しい出来事が起こったときに過剰に反応して疲弊しないために必要なものです。一方で、本当の危機が迫ったときに正常性バイアスが働いて、危機を避けられなくなるリスクもあります。今回は、すぐに警察が対応したからよかったものの、のんびり歩いていた私に何らかの被害が及ぶ可能性がなかったとは言い切れません。リスク回避するためには、怒号が聞こえた撮影隊から離れるべきでした。また、撮影隊の存在が正常性バイアスをさらに強化したといえます。

今回の体験でもうひとつわかったのは、「リアリティのある演技とリアルは違う」ということです。怒号を聞いたときに、一瞬「本当のケンカが起こっているんじゃないか」と思いました。私がこれまで映画やドラマで見聞きしてきたケンカの声とは違うリアリティを感じたからです。その怒号は、声は大きいものの不安定で、のどから必死で振り絞ってるように聞こえました。普段ケンカなんてしたことがない大人ができる限りの威嚇をしている感じです。プロの役者であれば、決してこんな声で演技はしないでしょう。

では、映画やドラマのケンカシーンで一般人による本気のケンカの声を流すとどうなるでしょうか。おそらく不自然で作品として成立しないと思います。リアリティのある演技ならいいのですが、本物を出してしまうとフィクションではなくドキュメンタリーになってしまうのです。

だいぶ昔の話ですが、ある役者がトーク番組で泣くシーンの演技をした時の話をしていたことを思い出しました。その役者は、本番で自身にあった悲しいこと、つらいことを思い出して本気で泣いたそうです。100%の感情が込められた本気の嗚咽です。「いい芝居ができた」と思ってモニターで先ほどのシーンを確認すると、意外なことにちっともよくなかったそうです。やはり、リアリティのある「泣き」と本気の「泣き」は違うということでしょうか。

そういうことを考えながら、コンビニで買った食パンを食べてコーヒーをすすったのでした。

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