「敬意逓減の法則」という言葉があります。元々敬意を表すために使われていた表現が、多くの人に使われることによって陳腐化することを意味します。例えば、「亡くなる」というのは「死ぬ」の婉曲表現ですが「亡くなる」では敬意が足りないと考えた人々は「お亡くなりになる」という敬語表現を使うようになります。しかしそれでも敬意が足りないと考えた人々は「お亡くなりになられる」という表現も使い始めます。「お~なる」という尊敬表現と、「れる」という尊敬表現、2つの敬語表現が使われていて、原則として現代口語ではNGの使い方です。しかし、「お亡くなりになられる」という言い方に違和感を覚えない人も多いのではないでしょうか。
敬意逓減の法則で最近思いつくのは「神」という表現です。若者を中心に「神対応!」とか「マジで神」という表現が使われることがありますが、ほぼ100%普通の人間ができるようなことに対して神と言っています。
ネットで「神対応」というワード検索をすると、神対応の例がたくさん出てきます。あるサイトにあった例では、「食事の最中に子どもがジュースをこぼしてしまい、慌てて拭こうとしていたら、気づいたスタッフが私と子どもを別の席に誘導して、片付けてくれた。しかも子どもに新しいジュースを持ってきて『おかげでお店がよりきれいになったよ。ありがとう』と声をかけてくれた」とのこと。
心温まる素晴らしい対応だと思うのですが、「神」と崇めるほどではないでしょう。これが「気付いたスタッフが目を閉じて杖をかざすと、テーブルが光を発して、こぼれたジュースが跡形もなく消えた。驚いているといつの間にかコップには新しいジュースが注がれていた」ということであれば、間違いなく神対応と言っていいでしょう。
「素晴らしい対応」と言えばいいのに、それでは素晴らしさが伝わり切らないという思いから、「神」という表現になったのでしょうか。それにしては、飛躍が甚だしいですね。「死ぬ」は「亡くなる」⇒「お亡くなりになる」⇒「お亡くなりになられる」と段階を踏んで進化していったのに、こちらはいきなり「神」です。「神父対応」とか「高僧対応」といったワンクッションを挟む余地はなかったのでしょうか。いきなり神までランクアップしてしまうと、神が陳腐化したときに次がないのも心配です。
ちなみに、神対応の例として飲食店の対応を紹介していたサイトによると、神対応の反対は「塩対応」だそうです。「神」の反対が「塩」・・・これもまた腑に落ちませんがこちらについては別の機会があれば語りたいと思います。