人は問題がある状態が続くと、問題を問題として捉えなくなることがあります。家でくつろいでいるときに近所で工事が始まったら「うるさいな」と思うでしょう。しかし数分もすれば工事の騒音に慣れて気にも留めなくなります。
今から50年以上前、多くの職場ではセクハラが当たり前に存在していました。1960年に実施された全米事務管理協会の調査によると、対象企業2000社のうち30%が、受付や秘書を採用する際に性的魅力を重視すると答えました。今では考えられないですね。今の時代であればそもそもこの質問自体がアウトです。
当時は多くの働く女性が、上司の性的な誘いを断ったことが原因で仕事を辞めざるを得なくなった経験がありました。ジャーナリストのリン・ファーリーは「このような共通の経験を的確に表す言葉はないだろうか」と考え、1975年に「セクシャルハラスメント」という造語を生み出しました。
リン・ファーリーのおかげで、日々経験していた嫌な経験を一言で表現できるようになったのです。当時は当たり前になっていた数々の性的な嫌がらせ、強要等に「セクハラ」というラベルを付けることで、「それは当たり前のことではない。異常な、許されない行為なんです」と主張することが可能になったのです。
「パワハラ」という言葉も同様に、当たり前になっていた問題を顕在化させました。些細なミスをしたら人格攻撃を伴う2時間以上の叱責を受けたとか、休みの日に強制的に上司の個人的な家事を手伝わされたといった行為に、「パワハラ」という名称をつけることで社会がこの問題に真剣に取り組むようになりました。
1974年に科学者のモリーナとローランドは、ネイチャー誌に発表した論文で、クロロフルオロカーボン類(フロン類)というエアコンの冷媒や制汗スプレーなどに使われていた化合物が大気中に放出されると、太陽からの有害な紫外線を吸収するオゾン層を破壊するということを主張しました。オゾン層が破壊されると、世界の食糧供給が脅かされ、皮膚がんのリスクが上がります。
この発表を受けて世間はどのような反応を示したでしょうか。ほぼノーリアクションだったそうです。目に見えないフロンというガスが、目に見えない光線から守ってくれる空高くに存在する層を破壊するという話を聞いても誰も危機感を抱かなかったのです。
発表当初、フロンガスの脅威はほとんど無視されましたが、その後複数の交際協定が締結されて問題の悪化に歯止めがかけられました。世間に危機感を持たせた要因のひとつが「オゾンホール」という言葉です。この用語が広く使われるようになったのは1980年代のことです。それまでは「よくわからないガスがよくわからない層に害を及ぼす」という漠然としたイメージしか持っていなかった人も、「オゾンホール」という言葉を聞けば「地球を守ってくれるオゾン層にぽっかり穴が開いている」というように問題を具体的にイメージできるようになりました。
もしあなたが、常態化していて見過ごされている問題を解決したいと思ったなら、まず周囲に「これは問題なんですよ」と認識させる必要があります。その問題を端的に表す名前をつけることで、問題を解決する足掛かりになる場合もあるかもしれませんね。
参考文献:上流思考(ダン・ヒース著)