岡田睦の作品『明日なき身』を紹介します。筆者は1932年東京生まれの小説家です。本に書かれたプロフィールによると、1960年に「夏休みの配当」で芥川賞候補になったとのことですが、この作品は現在入手困難なようです。講談文芸文庫の『明日なき身』には表題作を含む5つの作品が収録されています。私小説とエッセイの中間のような内容です。作品が書かれた時期、筆者は70代くらいだったと思われます。当時の筆者は3度の離婚を経て独身で、生活保護を受けながら居所を転々としていました。そのときの日常や筆者の心情、過去の思い出などが描かれています。印象に残った部分をピックアップしていきます。
筆者がスーパーマーケット「オザム」の買い物をまとめるカウンターで助六寿司を食べていたら店員に店内の飲食はだめだと注意されます。その後雪の降る中、コンビニでアンパンを食べていると店長に外で食べろと言われます。外で立っていると寒いので、筆者は歩きながら食べます。寒い中、暖かいところで食事をすることもできない様子が伝わってきます。
冬のある日、下水が詰まっていることに気付いた筆者。下水の蓋を見てみると排泄物とトイレットペーパーで押し上げられて、カーキ色の臭い液体が周りにあふれています。筆者は汚物を右手でつかんでかき出すのですが汚物はあとからあとからあふれてきりがありません。スコップや火掻棒を駆使して汚物の除去作業を続けます。想像するだけでも気持ちが悪い作業ですね。
筆者は当時、JR五日市線の武蔵増戸駅付近で暮らしていたようです。武蔵増戸駅の待合室で知り合いと合った筆者は「どこまで」「東京まで」という会話を交わします。武蔵増戸駅も東京にあるのですが、皆そういうとのことです。この感覚は私も理解できますね。何度かあのあたりに行ったことがあるのですが、東京であって東京ではない、強いて言えば「西多摩県」といったムードが漂っています。中央線東京を出発してどんどん西へ行き、立川あたりまでは完全に東京です。立川から西立川~拝島あたりは東京と西多摩県の境目のグレーゾーンといった感じで、拝島から先になると完全に東京ではなく西多摩県になります。
コンビニでの事件のシーンも印象的です。筆者が女性店員Pさんのレジに並んでいて、筆者の番が近づくとPさんは「ちょっと替わって」と言って事務室に入ってしまいます。そういうことが4、5回続けてありました。また、レジに誰もいないときに筆者が店に行って「誰かいないの」と声を出したところ、事務室からPさんがドアを開けたのですが筆者を見るとドアを閉めて引っ込んでしまいます。あるとき、筆者は店長に「訪ねたいことがある」と言って事務室に入ります。そこにはPさんがいました。筆者は「Pさん、ぼくは客ですが、どこか嫌いなところありますか。正直に言ってほしい」とPさんに尋ねます。Pさんは「私、辞めさせてもらいます」と言ってドアを開けて出ていきます。この後、筆者は店長から店を出禁にされたり、警察が出動したり、コンビニ本社と電話でやり取りしたり。筆者側の説明しかないのではっきりしたことは言えませんが、ちょっと普通ではない臭いがしますね。
筆者は冬のある日、鼻をかんだ大量のティッシュを燃やして暖をとろうとします。しかしそれが燃え広がり、壁のあちこちから火と煙が出てきます。部屋は焼けて住めなくなり、筆者は青梅の施設で暮らすことになります。
筆者は2010年に最後の作品を発表して以降、消息不明になったといいます。生きていれば2021年現在で89歳です。現代において作品集が発表されるような作家が「消息不明」というのもすごい気がします。できれば生きていてほしい。そして消息不明になってから10年の出来事を書いた作品を見てみたいものです。