重く受け止めたい人々

裁判の記事で「判決を重く受け止めたい」というコメントをよく聞きます。「たい」という部分がどうしても引っかかります。助動詞「たい」は、話し手の希望を表します。「判決を重く受け止めたい」というのは、コメントを出している人の希望ということになります。つまり、「今は判決を重く受け止めていないけど将来受け止めようと思っている」という意味になります。「重く受け止める」という行為は、自分がそうしようと思えばいつでも確実に実行できます。したがって、本来は「判決を重く受け止めました」「判決を重く受け止めます」という表現にすべきだと思うのです。「受け止めたい」と言われると、「受け止めてないし受け止めるつもりもないけど一応言っとくか」くらいの気持ちでいるのかな、と思ってしまいます。

「今期は前年比120%にしたい」。この場合は「たい」という表現で問題ないでしょう。前年比120%にしようという希望はあるものの、自分がそうしようと思ったら必ずそうなるものではありません。自分ではコントロールできない様々な要因によって、前年比120%にならない可能性があります。似ているようでも「今期は前年比120%を目指したい」は違和感を覚えます。目指すのは誰でも確実にできるからです。「目指す」という表現を使うのであれば「今期は前年比120%を目指します」と言った方がいいでしょう。

「会議を始めたいと思います」。これもあらゆる会議の場で使われる表現です。厳密に解釈すると、この発言をした人は「会議を始めたい」という希望を伝えただけであり、その後しかるべき人から開会宣言があって会議が始まるということになりますが、そのような状況は稀でしょう。実際にはこの言葉が開会宣言であり、「始めたいと思います」といった直後から会議が始まります。私の経験だけでいえば、ストレートに「会議を始めます」という人は少数派です。

このような「たい」が好んで使われるのは断定的な表現を避けるためでしょう。しかし、政治家、経営者、リーダーなどには「再発防止に取り組みたい」ではなく「再発防止に取り組みます」と言ってもらいたいものです。

コメントを残す