尊敬語と新たな文法の可能性

一般的に、動詞に「れる・られる」を付けたり、「お/ご~になる」という形にしたりすることで尊敬語になります。例えば、「帰る」⇒「帰られる」/「お帰りになる」など。また、一部の動詞には固有の尊敬語があります。例えば、「話す」⇒「おっしゃる」、「食べる」⇒「召し上がる」など。通常、固有の尊敬語がある場合はそちらを使います。しかし近年、固有の尊敬語は使用頻度が落ちて「れる・られる」を使う尊敬語に置き換わっている気がします。「お昼は食べましたか」を敬語にするときに、「お昼は召し上がりましたか」と言わずに「お昼は食べられましたか」と言う人の割合が増えてきているということです(あくまで私の個人的な感覚で、厳密に調査したわけではありません)。「食べられる」というと、「自分の食事が誰かに食べられてしまう」という受身の意味と紛らわしくなります。にもかかわらず、固有の尊敬語ではなく「れる・られる」を使った尊敬語が好まれるのはなぜなんでしょうか。
単純に、固有の敬語を知らないということはあるでしょう。他の理由として、固有の尊敬語は大げさすぎるととらえる人が増えたから、という仮説を考えてみました。職場の先輩や上司に対して「お昼は召し上がりましたか」というのは過剰だと感じてしまう。とはいえ、「お昼は食べましたか」だと敬意が足りない。「れる・られる」を使った敬語だとちょうどいい具合と判断して使っているのではないでしょうか。れる・られる派の中では以下のような序列が成り立っているのかもしれません。

・「お昼は食べた?」    ⇒家族、友人などの対等な関係
・「お昼は食べました?」  ⇒ある程度関係ができている知人/先輩など
・「お昼は食べられました?」⇒関係ができていない知人/先輩や身近な上司など
・「お昼は召し上がりましたか?」⇒役員クラスの上司、重要な取引先など

標準日本語文法でこのような使い分けがあるわけではありません。しかし、実際に日本語が使われている現場では話者の中でこのような新しい文法ができつつあるんじゃないかと感じている今日この頃なのでした。

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