「ありがとう」が溢れすぎている世界

エレベーターが苦手です。1階に着いたとき、たいていタッチパネルの前に立っている人が「開」ボタンを押して待ってくれます。軽く会釈をしながら「アリァトゴゼマス」と小さな声でお礼を言って降りるときにモヤモヤした気分になります。大人数で乗っている場合はともかく、2,3人しか乗っていなければわざわざ「開」ボタンを押さなくてもいいと思うのです。

エレベーターのドアはそんな高速で閉まらないですから、ドアに近い人から順に降りても問題ないはずです。しかし現実には押さなくてもいいボタンを押してくれる人がいて、それに対してお礼を言わなければならない。2人で乗っているとき、相手はタッチパネルを押して待っていて、自分はその人が先に降りるのを待っている。お互い「どうぞ」となったらどうしよう・・・なんて不毛な心配をしながら階数のランプを眺めていることもしばしば。タッチパネルの前にいる人が先に降りてくれるとホッとします。

こんなことを書いておきながら、自分がタッチパネルの前に立ったときは自分が先に降りるかと言えばそうではありません。「開」ボタンを押して他の人が降りるのを待つことが多い。私が先に降りたときに、「マナーがなってない奴だ」と考えるタイプの人かもしれない可能性を考えて、「開」ボタンを押してしまうのです。相手がお礼を言って降りた後、「これで正解だったのだろうか」と自問自答してしまいます。

エレベーターに限らず、世の中には「ありがとう」があふれています。ネットワークの調子が悪くてサポートセンターに問い合わせたときも、

「〇〇のボタンを押していただけますか」
「押しました」
「ありがとうございます。どのようなメッセージが出ていますでしょうか」
「xxxxxxと書いてますね」
「ありがとうございます」

終始この調子で、20万回くらい「ありがとうございます」を聞いた気がします。

客向けの貼り紙でも感謝の言葉があふれています。「いつも清潔にご利用いただきありがとうございます」と感謝のメッセージが書かれた貼り紙のあるトイレを多く見かけます。「汚すんじゃねえぞ」というプレッシャーを感じてしまいます。今もあるかわかりませんが、何年も前に祐天寺駅近くの公衆トイレではこんな貼り紙がありました。

以下のようなことはお控えください。
・個室に長時間居座ること
・個室で飲食すること
・トイレにゴミを放置すること
・洗面台で洗髪すること
・・・

などと、普通はトイレでしないことが10個ほど列挙されていて、最後に「いつも綺麗にご利用いただきありがとうございます」と書かれていました。これほど感謝の気持ちがこもっていない「ありがとう」を見たことがありません。

日本語のへそ」金田一秀穂・著でも、「謝罪」と「感謝」の言葉が溢れすぎていて無駄ではないかということが書かれています。

 先日、「『ありがとう』と『ごめんなさい』があふれる社会にしたいので話を聞かせてくれ」という取材があった。
 だからつい本音を言わせてもらった。
 「ありがとうとごめんなさいがあふれる社会って、きっとあまりよくないですよ」

「日本語のへそ」 p89より引用

この続きを要約してみます。モンゴルの遊牧民は、砂漠で泊まるところがなくなった見知らぬ人を泊めてあげることがあります。翌朝、泊めてもらった人は感謝の言葉など口にせず「じゃあね」くらいで去っていくそうです。遊牧民にとって助け合いは当然のことで、「ありがとう」なんて他人行儀はいらないというわけです。

これを読んで腑に落ちました。「ありがとう」という感謝の言葉が巷に溢れるほどに居心地の悪さを感じていたのはそういうことだったのかと。少しすっきりしましたが、やはりエレベーターへの苦手意識はまだ払拭できなそうです。

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