社会規範と市場規範

学生時代、友人の引越しの手伝いをしたことがあります。いわゆるゴミ屋敷状態で、リビングから台所まで雑誌、新聞、その他のゴミなどが散乱していて床が見えません。家主と私ともう一人の友人はひたすら片付けと荷造りに明け暮れました。作業中にそのアパートを検討している人が内覧に来たのですが、明らかに引いていました。90リットルのゴミ袋にして数十個分を廃棄し、引っ越し先に持っていく荷物をレンタカーの軽トラに詰め込んでいざ新居へ。取り急ぎ荷物を置けるところに置いて、車を返して3日間にわたるお引越し終了です。家主のおごりで缶ビールを飲みながら「これバイトだったら3万はもらわないと割に合わないな」などと重労働を振り返りました。もちろんあくまで冗談であって、家主が「ありがとう。助かったよ。これ少ないけど」と言ってお金を包んできたら、手伝った私たちは凍り付きます。私たちにとって3日間の引っ越し作業は「友人との付き合い」の一環であって、「飲みに行く」とか「旅行に行く」といった活動と同列のものなのです。そこにお金が出てくると、とたんに「仕事」になって、友情が壊れてしまいます。

一般社会でも同様のことは見られます。アメリカの退職者協会は、生活に困っている退職者を救うために弁護士に声を掛けて相談に乗ってもらうよう依頼しました。予定報酬は1時間当たり30ドル程度で、一般的な弁護士の報酬と比べてかなり低めです。多くの弁護士は断りました。退職者協会の担当者は、報酬の金額を変更することにしました。アップしたのではなく、ゼロ、無報酬にしたのです。すると今度は多数の弁護士が引き受けました。
30ドルでオファーされたとき、弁護士は依頼を仕事としてとらえました。そして仕事としては報酬が低すぎると判断したのです。無報酬になると、弁護士は依頼を仕事ではなく「人助け」「社会貢献」と考えて引き受けたというわけです。

だいぶ前に伝え聞いた話で、はっきりしたソースはないのですが相撲界の話。関取を飲み会や何かの集まりに呼ぶときは祝儀を渡す慣習があるそうです。昔は現役の横綱であれば100万が相場だったとか。力士はタダで飲み食いできてお金ももらえる。呼んだ方は「あの人気力士を連れてきた」ということで顔が立つというわけです。力士を呼んだのはいいが、相場にふさわしいお金を持ち合わせていないというときどうするか。例えば、相場30万の力士を呼んだけど10万しかないという場合、10万を渡すのではなく記念品として手ぬぐいなどを渡すそうです。10万を渡してしまうと、その力士の相場は10万に下がってしまいます。手ぬぐいであれば、「今回は友情出演。特別にノーギャラで来ました」ということで相場は下がらないというわけです。

友情、愛情、その他人間関係や常識、倫理に沿った規範を社会規範と呼びます。経済性、合理性などに沿った規範を市場規範と呼びます。友人を手伝ったり、困っている人に声をかけるのは社会規範に基づく行動です。社会規範と市場規範の関係がよくわかる研究の話。イスラエルの託児所で、子どもの迎えに遅れる親に罰金を科すのが有効なのか検証されました。罰金がなかったとき、親は迎えが遅れると「規則を守らないのは悪いな」「職員に残業させて申し訳ないな」という気持ちになって、次から遅れないようにしようと考えていました。しかし、罰金制になると遅刻した罪悪感をお金で埋め合わせることになります。罰金が延長チケットのようにとらえられてしまったのです。社会規範が市場規範に切り替わったといえます。しばらくして、罰金は効果がないということで罰金制度が廃止になりました。しかしいったん市場規範に変わった親たちの意識は、社会規範に戻ることはありませんでした。今度は遅刻する罪悪感もなく、罰金も不要ということで以前より遅刻が増えてしまいました。社会規範が壊れてしまうと、元には戻らないということですね。

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